2023年元旦の長崎3 日本三大名橋の1つ眼鏡橋と中島川

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2023年1月1日(日)、武雄温泉から西九州新幹線に乗って長崎に到着した私たちは、諏訪神社で初詣の後、龍馬通りを歩いて亀山社中記念館、龍馬のぶーつ像、そして風頭(かざがしら)公園にある坂本龍馬像を見学しました。

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2023年2月10日

寺町から眼鏡橋へ 四百年商店街を通る

風頭公園から広大な墓地を通り抜けてやっと寺町に戻ってきた私たちは、

そこから徒歩で眼鏡橋へ。特に何も書かれていませんが、グーグルマップの広大な緑の部分は下り階段の墓地です。やっぱり墓地の中が近道で、皆、普通に利用しているのかな(これが彦馬通りかな?)

残念ながら私たちは墓地を抜ける時に正しい道を歩かなかったためか、上野彦馬の生誕地や銅像とは出会えずじまい。

でも初めて耳にするお菓子「よりより」

(唐人巻とか「麻花兒 (マファール)」とも呼ばれています)の店を見たり(この日は元旦なので休業)

お正月らしくきれいに門松を飾ってある小学校を見たり(自宅の近所では学校は門松を飾っていたかな?)

風情のあるお饅頭屋さんを見たり(こちらも休業)

道路の龍に感心したりしているうちに

レトロな商店街に到着。「四百年商店街」という名前にびっくり!

調べてみると、江戸時代中期(1625年)から続く長崎で最も古い商店街なのだとか。老舗の風格を残す店もありました。

後に「シュガーロード」と名付けられる、長崎街道の起点・大手橋へと続く物流の拠点もこの辺りで生まれたのだとか。和菓子屋が多いのはそのためかな?

眼鏡橋とご対面! 「眼鏡」にしようと思えば撮影ポイントに注意しよう

この商店街をまっすぐ行くと、眼鏡橋がありました。

日本三大名橋に数えられる、現存最古のアーチ型石橋の1つ(那覇の天女橋の方が古いのですが、当時は「琉球王国」だった)。

中国から来日して、長崎の興福寺2代目住職となった黙子如定(もくす にょじょう)禅師によって架けられたと言われています。橋がたびたび流されるのに心を痛め、中国から石工を呼び寄せて、1634年にこの橋を架けたのだとか。

中島川は昔から、洪水や鉄砲水が多かったようです。木の橋より石の橋の方が洪水に強く、腐りにくいですね。

2つのアーチからなる橋が水に姿を映すと、眼鏡のように見えるので「眼鏡橋」らしいのですが

橋の近くで撮影すると、きれいな眼鏡になりません。調べてみると、一つ前の袋橋から、もしくは橋下に下りて袋橋方向から撮ると眼鏡になるそうです。

ちなみにこれは、長女が撮影してくれた私と夫の写真の、背景だけを切り抜いたもの。確かに眼鏡になっていました。

中島川には石橋が多い

眼鏡橋を渡ってみました。

橋の上から見てみると、他にも石橋があるので驚きました。「中島川石橋群」と呼ばれ、10近くの石橋が残っています。

ただし眼鏡橋のように2つアーチがある橋ではありません。単アーチと呼ばれる形です。

単アーチの方が川に橋脚がないため、水害対策としては望ましかったのですが、太鼓橋になってしまうと通行にはやや不便。

そこで初めて架けた眼鏡橋では、橋脚を川に設置して二重アーチにしたそうです。その後技術力が向上し、単アーチでも割合扁平な石橋が可能になったのだとか。

ともあれ眼鏡橋から始まった石橋の技術は九州へ伝えられ、やがて日本の石橋の手本となったのは確かですね。

でも1982年の長崎大水害で、眼鏡橋や多くの石橋はかなり被害を受けました。この時299人が死亡・行方不明となり、河川の氾濫、土石流、崖崩れなどが発生。上の彫像は「水害復興と友好の記念碑像」という、日本の少女と中国の伝説の少年が龍を従わせている像で、眼鏡橋建設など日中両国の友好関係と治水を象徴しています。

飛び石を行きかう人々の姿を見ていると、この河川が氾濫し、多くの石橋が損壊したとはとても思えません。

亀山社中のメンバーで切腹に追い込まれた近藤長次郎さん(大河ドラマ『龍馬伝』では大泉洋さんが演じていました)の顕彰碑や

シーボルトの桜を見ながら、のんびり川べりを安心して散策できるのは、ある意味幸せなことなのだと思いました。

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