カトリック山田教会
2024年2月25日(日)、平戸島から生月島(いきつきしま)へ移動した私たちは、生月自動車観光タクシーの2時間コースで島を観光。
塩俵の断崖から島の北端部へ移動し、大碆鼻(おおばえはな)灯台を見学した後は、生月サンセットウェイを通っで島の南端部にある平戸町博物館・島の館を見学。
その後タクシーの運転手さんは、私たちをカトリック山田教会に連れて行ってくれました。
生月島南部にある代表的な教会の1つで
![](https://i0.wp.com/reki-tabi.com/wp-content/uploads/2024/04/IMGP2538.jpg?resize=512%2C341&ssl=1)
レンガ造りの美しい教会です。
![](https://i0.wp.com/reki-tabi.com/wp-content/uploads/2024/04/IMGP2539.jpg?resize=512%2C341&ssl=1)
残念ながら内部は見学できませんでしたが、五島列島福江島の教会を連想させるたたずまい。
![](https://i0.wp.com/reki-tabi.com/wp-content/uploads/2024/04/IMGP2540.jpg?resize=512%2C341&ssl=1)
この「聖トマス西(六左衛門)」という人物は、これから訪れる場所で殉教したガスパル西(西玄可)の次男で生月島出身。両親と兄は1609年に処刑されますが、司祭となった彼と、彼を匿った弟一家は1634年に処刑されました。同時期に殉教したドミニコ会関係者15人とともに、1987年ローマ法王ヨハネ・パウロ2世により「福者」として列聖されています。上はその列聖記念碑ですね。
クルスの丘に立つ殉教碑
続いて訪れたのが、「ガスパル様」。戦国時代に生月島のキリシタン領主となった籠手田(こてだ)氏の代官・西玄可(げんか)の殉教史跡です(彼の洗礼名がガスパル)。
平戸藩の禁教政策が厳しくなって、籠手田氏が長崎に脱出した後も彼は島に残り、島内キリシタンの指導に当たっていました。しかし娘の舅が彼を藩主に訴え、捕えられてしまいます。下の写真は殉教碑のレリーフで、島民に布教している場面です。
![](https://i0.wp.com/reki-tabi.com/wp-content/uploads/2024/04/2024-02-25_10-42-18_649.jpg?resize=384%2C512&ssl=1)
彼はイエスと同じ磔刑を望みましたが叶えられず、かつて十字架が立っていた「クルス(黒瀬)の辻」での処刑を望みました。その願いは叶えられ、妻や長男と共にその地で斬首されました。宣教師の記録によるとその地に埋葬され、いつしか「ガスパル様」と呼ばれるように。
![](https://i0.wp.com/reki-tabi.com/wp-content/uploads/2024/04/2024-02-25_10-47-48_057.jpg?resize=384%2C512&ssl=1)
現在この場所は、「クルスの丘公園」となり、立派な殉教碑が立っていました。
![](https://i0.wp.com/reki-tabi.com/wp-content/uploads/2024/04/2024-02-25_10-49-40_860-2024-02-25T07_36_37.791.jpg?resize=384%2C512&ssl=1)
近くには、「ガスパル様の墓」もあるらしいのですが、タクシーの運転手さんも場所がわからないとのこと(実は生月島ではなく、平戸島の人でした)。グーグルマップにも記載がなく断念したのですが、後で調べたところ、十字架の背後にあるとのこと。
世界遺産の中江ノ島
クルスの丘公園からは、世界遺産にも登録されている潜伏キリシタンの聖地
![](https://i0.wp.com/reki-tabi.com/wp-content/uploads/2024/04/2024-02-25_10-45-39_915.jpg?resize=384%2C512&ssl=1)
無人島の中江ノ島(世界遺産)を望むことができました。
![](https://i0.wp.com/reki-tabi.com/wp-content/uploads/2024/04/2024-02-25_10-41-13_644.jpg?resize=512%2C384&ssl=1)
中江ノ島は江戸時代初期に、キリシタンの処刑が行われた場所。そのため「殉教地」という最高の聖地として、今でも潜伏キリシタンの信仰対象となっており、洗礼やおはらいに使う「お水」という聖水を採取するために中江ノ島へ渡っているそうです。
今でも中江ノ島は、平戸市の所有で許可なく上陸できません。今では生月島の潜伏キリシタンの数も激減しているようですが、潜伏キリシタンの壮絶な歴史はいつまでも語り続けられるだろうなと思いながら、充実したタクシー観光を終えて、生月島を後にしました。
コメントを残す