2023年元旦の長崎1 諏訪神社で初詣の後、「龍馬通り」を歩いて亀山社中記念館へ

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2023年1月1日(日)、武雄温泉から西九州新幹線に乗って長崎に到着しました。

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2023年2月10日

長崎くんちで有名な諏訪神社へ!

長崎駅近くのホテルニュー長崎で荷物を預けた私たちは、新年らしく初詣をしようと

徒歩で諏訪神社へ向かいました。豪華絢爛でダイナミックかつ異国情緒豊かな秋の大祭・長崎くんちが10月に開催されることで有名な神社です。

市電に感動したり

まるで南欧風リゾートホテルのような日本銀行長崎支店に驚いたり(一度見学してみたい!)しているうちに

諏訪神社(通称「鎮西大社」)に到着。

坂の町長崎の産土神(うぶすながみ)=守り神らしく? 長坂(ながさか)という坂道が続きます。石段は73段あるらしい。

「諏訪神社の顔」とも言われる大門へ続く階段を上ると

やっと拝殿が見えてきます。初詣客がびっしりで、なかなか周囲の様子がわかりません。

拝殿の前に行くのも一苦労。

主祭神の諏訪大神は、武神で厄除けのご利益があるので、しっかりお祈りしました。この神社は諏訪神社だけでなく、森崎神社(イザナギ&イザナミノミコト)や住吉神社の神も祀られているので、縁結びや海上守護のご利益もあるのだとか。

参拝を終えてほっと一息。戦国時代から長崎には、諏訪神社・森崎神社・住吉神社の3社があったのですが、長崎がキリシタン大名大村純忠によりイエズス会に寄進されると、神社仏閣はすべて破壊されてしまいました。

その後長崎は豊臣秀吉や徳川幕府の直轄領となり、禁教政策が始まると、1625年に諏訪神社が再建され、1641年には現在地に移転しました。長崎奉行は諏訪神社の神事を「長崎市民の神事」と認定し、諏訪神社は長崎の鎮守、長崎市民は皆その氏子とされたのです。

キリシタン対策のため、諏訪神社やその祭が幕府(の代官である長崎奉行)によって保護されたのですね。

御朱印は500円。御朱印帳の中には、長崎くんちをデザインしたものもありました。

亀山社中記念館への坂道「龍馬通り」を歩く

初詣を終えた私たちは、今度は亀山社中記念館へ。まずは寺町通へ移動し

坂道を上ります。

「龍馬通り」という名前がついており、とても風情のある坂道&石段が続いていました。

元旦のためかほかに観光客はおらず

猫と私たちしかいません。

絶景も独り占め! でもここを日常的に通る人にとっては、大変な道だろうなと思います。

坂道のあちこちには、近藤長次郎や

陸奥宗光など、亀山社中に参加した主な人々の業績が紹介されていました。

亀山社中記念館

亀山社中は、坂本龍馬が同志20数人と長崎で結成した「日本初の商社」兼「私設海軍」。討幕を目的とした活動を行い、敵対していた薩摩藩と長州藩の関係回復の仲介をし、薩長同盟締結に大きな役割を果たしました。

当時活動の拠点として借りていた民家が、もともと「亀山焼」の職人の住居として使用されていたため、

その地名の「亀山」と、仲間を意味する「社中」をあわせて「亀山社中」と呼ばれています。

老朽化していた遺構を当時に近い形で復元し、2009年から「長崎市亀山社中記念館」として一般に公開しているそうです。

龍馬ファンにはたまらない場所なのかもしれません。

龍馬の刀やピストル(複製品)も目を引きますが

興味があったのは龍馬の妻・お龍(りょう)が弾いたという月琴(げっきん)。江戸時代から幕末・明治にかけて大流行した楽器だそうです。どんな音がするのかな?どんな曲を弾いていたのでしょうか。

亀山社中のメンバーの名前が書かれています。

記念館には撮影不可の場所もあり、そこには海援隊の資料や当時の土間の遺構(ガラス越しに見学)もありました。また、隠し部屋と思われる中2階があるようですが、予備知識がなく見逃してしまいました。

年末年始は休館という施設や店も多い中、年中無休というのがとてもありがたく、長崎らしさも満喫できた場所でした。

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