大手道ではなく、上杉謙信公銅像のある道へ
2024年3月22日(金)夜、大阪梅田から、越後交通の深夜バス(長岡・柏崎・京都・大阪線)で新潟県へ向かい、上越木田のバス停で降車して春日山駅で休憩し、上杉謙信の居城である春日山城跡を目指す私たちは
上越埋蔵文化財センター前にある、上杉謙信公騎馬像を見ながらコンビニのおにぎりを食べた後、再び春日山城跡へと歩き始めました。
目指す春日山は、前方遥かに見えるあの山かな?
車道をどんどん歩いて行くと、「大手道(おおてどう)」入口に到着。
田んぼの中へと続く広くてまっすぐな道で、確かに城へのメインストリートのようにも思えるのですが、旅行前に参考にしていた動画では、南へ曲がる大手道ではなく、上杉謙信公銅像のある道(この車道をまっすぐ登る)を皆さん紹介していました。この日も銅像のある道から下ってくる人が何名かいたので、令和のメインルートはこちらと判断して銅像に続く道へ。
車道を歩くので山道よりは楽なのですが、それでも斜面はかなり急です。埋蔵文化財センターからは20分ほど坂を上って
目的地の上杉謙信公銅像前に到着! 騎馬像ではありませんが、こちらもなかなか威風堂々たるものでした。1969(昭和44)年の大河ドラマ『天と地と』放映の際に制作されたそうです。懐かしい! モデルは上杉謙信役の石坂浩二さんなのかな?
上杉謙信と小川未明ゆかりの春日山神社
この銅像を右に曲がると、春日山神社がありました。
1887(明治20)年に創建された、どちらかと言えば新しい神社で、発起人は旧高田藩士の小川澄晴。童話作家として有名な、小川未明の父でした。彼が上杉謙信の遺徳を慕い、山形県米沢市の上杉神社から祭神の上杉謙信命を分霊して、この神社を創建したのです。越後出身の近代郵便制度の父・前島密(まえじま ひそか)の援助もあったとか。
越後の戦国大名として有名な上杉謙信ですが、後継者となった養子の景勝は、豊臣秀吉から会津への移封を命じられ、その後関ケ原の戦いで西軍に与したため、上杉家の領地は米沢藩15万石に。越後と上杉家は切り離されてしまったのですが、やはり上杉謙信の名声はこの地に残っていたのですね。
小川未明の童話に登場する猫やフクロウがデザインされたベンチを通り
立派な鳥居をくぐって(右の石碑は、東郷平八郎の揮毫だそうです)
本殿へ。御朱印を頂こうと思って調べてみると、
本来なら神社手前の売店で販売されるのですが、この日はまだ冬季休業中なのか、それとも時間が早すぎたのかシャッターが開く気配もないので(多分時間が早すぎたのだと思います)
貼り紙の指示に従い、拝殿前の賽銭箱近くにある御朱印を頂き、賽銭箱に300円を投入。お釣りは出ないので注意しましょう。
境内には、上杉謙信の銅像や
小川未明(15歳~20歳ころまで、神社境内に居住)の詩碑があったりしたのですが
驚いたのは、日露戦争の戦利品?らしき大砲があったこと。祭神上杉謙信は、戦いの神。毘沙門天の生まれ変わりと自称していたから、こんな奉納品もあるのでしょう。第二次大戦末期の金属供出を免れたのも、上杉謙信の威光があったためでしょうか。
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