京都洛西の寺社巡り2  藤原道長の娘・彰子や紫式部ゆかりの大原野神社

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高速道路を渡り、田園風景をひたすら歩く

2024年6月22日(土)、紫陽花が見頃の、京都市西京区にある善峯寺(よしみねでら)に参拝し、せっかく普段行かない洛西に来たのだから、近くの寺社も行ってみようと、十輪寺(じゅうりんじ)にも立ち寄った私たち。

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次のバス停まで歩くのに、こんなに長い距離を歩かされるのかとがっくりきたのですが

十輪寺の次の目的地は、さらに距離がある大原野神社

グーグルマップのお告げによると、36分もかかるようです。大きな道路を横断するんだなと思っていたら

何と高速道路(京都縦貫自動車道)を横断するのでびっくり! なかなかできない体験です。この辺りに大原野ICがあるようでした。宮津まで続いているこの高速道路は、バスツアーで何回か利用したのですが、まさか歩いて渡ることになろうとは。

横断後は、用水路に沿ったりして田園風景の中をひたすら歩き(直射日光が辛い!)、やっとのことで大原野神社へ。もうくたくたです。この鳥居前まで、タクシーで来ている人たちもいました。

大河ドラマ『光る君へ』と紫式部ブームで盛り上がる大原野神社

鳥居からは、疲れた脚には少々辛い階段を上り

参道を歩きます。

驚いたのが、参道にある幟。「ここにかく 日野の杉むら うづむ雪 小塩の松に 今日やまがへる」という、紫式部が越前で詠んだ歌が書かれています。越前の雪を見て、まず思い出したのが、この大原野神社のある小塩山周辺だったのでしょう。

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「紫式部 氏神のやしろ」の紫の幟もあり、境内には『光る君へ』のテーマ曲などが流れていたのにびっくり。

この大原野神社は、奈良の春日大社から勧請(かんじょう=神仏の分霊を迎える)を受けたもので、「京春日(きょうかすが)」とも呼ばれ、春日大社や京都の吉田神社と並んで、「藤原氏の氏神三社」に数えられています。

桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏(おとむろ)が藤原氏の氏神を大原野に勧請したのが始まり。藤原氏の家に女子が生まれると、その子が皇后・中宮になれるようここに祈願し、願いが叶うと行列を整えて参詣することが通例となっていたようです。皇后の参拝が度々あり、円融天皇や一条天皇も参拝したという由緒ある神社。

藤原氏である紫式部の氏神でもあるのですが、実は彼女よりも、藤原道長やその長女・彰子との関係でよく知られている神社です。

「中宮彰子」を実現させた大原野神社の祭祀

藤原道長の長女・彰子は12歳で一条天皇に女御として入内しますが、出家した中宮の定子はこの時すでに出産間近。なんと第一皇子を産んだのです(2人目の出産)。出家の身での出産なので周囲からは大反発を受けるのですが、やはり第一皇子の誕生は道長には痛手で、彼は後宮での彰子の存在感を高める必要を感じました。

それが、彰子を女御から中宮に格上げし、一条天皇の「正妃」とすること。しかし中宮には、既に定子がいます。

蔵人頭(くろうどのとう=天皇の秘書官長)だった道長側近の藤原行政は、道長の意を汲んで、定子を皇后、彰子を中宮にと提案。その根拠の1つとなったのが、藤原氏出身の后は大原野神社の祭祀を行う必要があるが、中宮定子も女院となった詮子も、円融帝の中宮遵子も皆出家しており、出家していない藤原氏の后が必要という点。

出家していると神事が行えないため、この提案に道長は大喜び。こうして彰子は中宮となり、道長や紫式部と共に大原野神社を参拝しました。

応仁の乱で荒廃した大原野神社ですが、江戸時代になると徐々に復興。美しい社殿は春日神社と同じスタイルで、やはり神の使いの鹿が、絵馬などにデザインされています。

御朱印(500円)にも鹿の絵がデザインされていました。

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