和泉式部が初代住職を務めた誠心院
20242024年8月11日(日)、京都を訪れる機会がありました。今回の目的は、新京極商店街にあるという、和泉式部のお墓詣りなのですが、実際に商店街を訪れてみると、私たちの気づかなかった小さなお寺や神社がたくさんあるのが面白く、あちこち巡ることになりました。
清和天皇の生母・藤原明子が祈願したという染殿地蔵院や蛸薬師堂(永福寺)を訪れた後
いよいよ和泉式部のお墓のある誠心院(和泉式部寺)へ。
新京極商店街の四条通側入り口近くにあった染殿地蔵院からは、徒歩5分ほど。
商店街からの入口は、こんな感じ。真言宗の寺院で、ご本尊は阿弥陀如来です。
門の側にあったのは、「鈴成り輪(すずなりぐるま)」。魔尼車(マニぐるま)とも呼ばれ、一回廻せば経典を一回読誦した功徳が得られます。もちろんしっかり回しました!
門を入ると、この写真。これが和泉式部のようです。優しく穏やかな顔をした、なかなか美しい尼僧。百人一首に描かれた和泉式部とかなりイメージが違うのですが、この誠心院は和泉式部が初代住職を務めた寺なので、この姿で表現されているのでしょう。でも平安時代の尼君って、大河ドラマ『光る君へ』で描かれた詮子や定子のように、セミロングスタイル(尼削ぎ)なのでは? 色々疑問が残る和泉式部像でした。
誠心院には、和泉式部像と藤原道長像が安置されているのだとか。本堂の扉は閉められていて、内部の拝観は断念しましたが
和泉式部と藤原道長らしき、顔ハメパネルがあったのが面白かったです。
迫力ある役行者様もおられました。
歌に生き恋に生きた和泉式部の晩年
和泉式部と言えば、『光る君へ』でも描かれているように、和歌の才能があり、恋に生きる華やかな女性。紫式部同様、中流貴族出身です。
父親の意向で結婚した夫の和泉守が単身赴任している間、三条天皇(『光る君へ』では現在皇太子 藤原道長の甥)の同母弟・為尊(ためたか)親王と熱愛。これが発覚して、父親に勘当されてしまいます。
為尊親王が亡くなると、今度はその弟・敦道親王に求愛され、親王が愛人の彼女を自邸に「女房」として住まわせます。これに怒った正妻が家出(後に離婚)。でも敦道親王も早くに亡くなってしまうのです。
多くの恋をし、素晴らしい和歌の数々を詠んだ彼女は、後に藤原道長の長女・彰子に仕えます(紫式部の後輩)。再婚もするのですが、最初の夫との間に産んだ娘・小式部内侍(こしきぶのないし)を亡くし、娘の菩提を弔いつつ極楽往生への想いを強めて出家。
長年彼女が仕えた彰子が、彼女のために父の道長に頼み、道長は自分が建立していた法成寺(ほうじょうじ)の東の一画に、彼女のための小さなお堂を建て、彼女を初代住職にしたのです。だから2人の像が安置されているのですね。元は京都御所の近くにあったのですが、秀吉の「京都大改造」により、多くの寺院と共にこの地に移転しました。
彼女のお墓です。初代住職の墓だけあって、とても立派な宝篋印塔。日本各地に彼女の足跡や墓があるそうで、今年の2月に訪れた島根県の亀嵩(かめだけ)駅近くにも、和泉式部の墓所があったことを思い出しました(亀嵩の墓所はもう少し質素でした)。
こちらで頂いた御朱印(300円)。
スタンダードなものにしましたが、色とりどりの和紙に、和泉式部の和歌が入った美しい御朱印もあったので、ものすごく迷いました。詳しくはこちらをご覧ください。
実はこの和泉式部にゆかりの寺院が、もう1つ近くにあったので次回ご紹介します。お楽しみに。
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