『べらぼう』ゆかりの地+αの旅7  回向院(前編) 力塚と鼠小僧の墓

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庶民に寄り添う両国の回向院

2025年1月5日からスタートしたNHK大河ドラマ『べらぼう』は、主人公の蔦屋重三郎を中心に、江戸中期の様々な人物が登場します。昨年6月8日(土)に東京に行く機会があったので、ドラマに登場する人物ゆかりの地とその周辺を巡ってみることにしました。

『べらぼう』ゆかりの地+αの旅2  浴恩園跡と、石川島人足寄場跡

2025年1月23日

『べらぼう』ゆかりの地+αの旅1  蔦屋耕書堂跡と日本橋の本屋たち

2025年1月22日

昼食後、江東区深川の霊巌寺(れいがんじ)で松平定信の墓参りをし、そのまま北に歩いて墨田区へ。偶然吉良邸跡(本所松坂町公園)も発見し、

『べらぼう』ゆかりの地+αの旅6  吉良邸跡と葛飾北斎の意外な関係

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『べらぼう』ゆかりの地+αの旅5  江東区霊巌寺にある松平定信の墓

2025年1月26日

本来の目的地である、両国の回向院(えこういん)へ到着。

本所の吉良邸跡からは、徒歩5分ほどでした。本所と両国って、近かったんですね。

仁王像のある正門。回向院は、4代将軍徳川家綱の時代に起きた「明暦の大火」(1657年)の焼死者10万8千人(!)を、幕府の命で葬った「万人塚」を発祥とする、浄土宗の寺院です。

その後も、災害や事故で亡くなった方、処刑された人々などの無縁仏や人間以外の動物なども供養してきた回向院。庶民に寄り添ってきたお寺なのですね。

回向院と大相撲の関係

回向院を訪れるのは、今回が初めて。門を入ると、こんな看板がありました。 ぬり絵写経や法話カフェ、どちらも面白そうです。

でも私たちがここに来た目的は、山東京伝の墓参り。一体どこにあるんだろう? 探しながら境内を歩いてみました。

多くの死者を供養してきた回向院には、石碑や塚がたくさんあります。ひときわ目立っているのが、1936(昭和11)年に、当時の大日本相撲協会が建立した、亡くなった力士や親方の霊を祀る「力塚」。新弟子たちが、力を授かるよう祈願する碑にもなっているそうです。

その奥には、相撲記者たちの慰霊碑など、4基の石碑や塔もありました。これらをまとめて「力塚」と呼ぶらしい。

回向院の修復費用などを募るため、境内で開催された年に2度の相撲興行が、現在の大相撲の起源になるのですね。国技館が両国にあるのも、頷けます。

鼠小僧次郎吉の墓

回向院に眠るもう一人の有名人が、鼠小僧次郎吉。

蔦屋重三郎が亡くなり、松平定信も老中を引退した(寛政の改革終了)、11代将軍家斉(いえなり)時代に活躍した盗賊です。

武家屋敷ばかり(見た目より警備が手薄)に単独で忍び込み、10年間に荒らした屋敷は95ヶ所! 盗んだ金を貧民に与えた「義賊」として描かれることが多いですが、実際は賭博での借金返済や生活費、遊興費に使ったようです。捕縛後の家宅捜索でも、ろくな家財道具やお金はなかったのだとか。富裕層ばかりを狙い、人殺しをしなかったのが人気の秘密なのかも。

彼は1832(天保3)年に市中引き回しの上打ち首獄門となりましたが、10年もの間逃げ延びた(しかも親から勘当され、妻や妾にも捕縛直前に離縁状を渡しており、処刑されたのは彼1人)という運の良さにあやかろうと、墓石を削ってお守りに持つ博打打ちが跡を絶たず、遂には「本墓」とは別に「お前立」が用意されたのだとか。

お前立の右側の札には「こちらの「お前立」をお削り下さい」と書かれていました。「お前立」のそばに、石がいくつも置かれているので、これで削るのかもしれませんね。

ちょっと人目を気にしてしまい、削るのはやめましたが、運が良くなるようにお祈りしました。時代劇が激減しているせいか、最近あまりドラマ等で見ることのない鼠小僧ですが、まだまだパワースポットとしての人気は絶大なようですね。

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