見落とすところだった「ゆるぎ石」
2024年12月28日(土)、初めて足摺岬を訪れた私たち。足摺岬灯台から足摺岬展望台、ジョン万次郎銅像を見て、四国八十八か所霊場の第三十八番札所・金剛福寺も参拝し
今夜の宿・足摺国際ホテルに戻ろうとしたのですが、「足摺七不思議」の中で、まだ見ていないものがあることに気が付きました。
見てみたかったのが「ゆるぎ石」というもの。金剛福寺からはまた遊歩道を入り、しばらく歩くと、見つかりました。

解説板によると、弘法大師が金剛福寺を建立するときに発見された石で、この石を揺らすことができるかどうかで、親孝行の度合いがわかるという恐ろしい石。

この大きな石の上には、小さな石が積まれていたそうです。親孝行者が大石を揺らすと、上に積んでいる小石が落ち、親不孝者なら小石は落ちないとか。でもその小石が、大石の上にありません。だれか親孝行な人が大石を揺らし、小石が落ちてしまったのでしょうか。親孝行なのは尊敬するけれど、せめて崩した小石は元通りにして欲しいものです。下の写真の、石の割れ目の中にあるのが、その小石かな?

私も挑戦してみましたが、予想通り、渾身の力を込めても大きな石はびくともしません。実家の両親に、心の中で謝りました。
補陀落渡海の痕跡を伝える、不増不滅の手水鉢
そのすぐ近くに、また別の解説板がありました。
これも「足摺七不思議」の1つのようですが、「ゆるぎ石」の解説板と違って、所々、文字が消えかかっていて、少々読みにくい。

どうやらこの岩は「不増不滅の手水鉢」というもので、平安時代の中頃、賀登上人とその弟子・日円上人が補陀落渡海(ふだらくとかい)を志していたものの、先に弟子の方が渡海してしまい、師の賀登上人は悲しんでこの岩に身を投げ出し、落ちる涙が不増不滅の水になったのだとか。

この岩にその水が流れていたのかな? 足摺岬灯台に行く前に見た「足摺七不思議」の「汐の干満手水鉢」と同様、背が低いから、岩の上がどうなっているのかわかりませんでした(涙)。ドローンが欲しい。
補陀落渡海とは、南海の遥か彼方にあると信じられていた観音菩薩の浄土・補陀落に往生することを願い、小舟で船出することです。命を捨てる覚悟で行う航海で、船に扉や窓はなく、行者が乗船後に外から釘を打ち付けて、船を密閉する場合もあるとか。中世に、和歌山県の熊野と並んで、補陀落渡海が盛んだったのが、この足摺岬でした。
命を捨てる覚悟があれば、弟子でもさっさと渡海できます。師の上人は、弟子を失った以上に、自分にはまだ死ぬ覚悟がなかったことを悟って嘆き悲しんだのでしょう。
足摺岬の名前の由来は?
ちなみに、私が昔読んだ長門本『平家物語』では、理一という僧侶が補陀落渡海をこの地で決行し、置き去りにされてしまった弟子の「りけん」が、名残惜しく慕い、あまりの耐えがたさに倒れ伏し、「足摺をして(=地団太を踏む)おめき悲しむ」という記述があり、これが足摺岬の名前の由来かと思っていました。補陀落渡海と残された僧の足摺の説話は、他にもあります(『とはずがたり』など)。「不増不滅の手水鉢」の賀登上人も、足摺をしたんじゃないかな。
一方、「弘法大師が修行のため、足を引きずりながらこの地にたどり着いた」ので足摺岬となったとする説も多いですね。厳しい修行や命がけの航海にも負けない、強靭な体力がある(と勝手に思っています)弘法大師でも足を引きずる。やはりこの場所は(特に昔は)、想像を絶する秘境(それゆえに聖域)だったのかもしれませんね。
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