二番目に巡行する鉾・函谷鉾
2025年7月15日(火)、夫に誘われて、京都に行くことになりました。今回の京都行の目的は3つ。まず、よく京都特集番組で紹介されている「あじき路地」を見学し、祇園祭宵々山の風情を楽しみ、最後に暑い夏ならではの、京都の冷たいスイーツを食べてみること。
残念ながら、「あじき路地」や隣接する有名花街の宮川町は定休日だったのですが、四条烏丸で長刀鉾を見て、「麺匠 たか松」四条店で昼食を頂いて
いよいよ本格的に、祇園祭の山や鉾の見学です。

長刀鉾から西に進むと、四条通北側に次に見えてくるのが、長刀鉾の次に巡行する鉾の函谷鉾(かんこぼこ)。中国の有名な関所・函谷関(かんこくかん)は夜間閉鎖されていたけれど、鶏の鳴きまねで関所が開き、無事に折ってから逃げ延びた孟嘗君(もうしょうくん)の故事をテーマにしています。あの清少納言の百人一首の歌「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」の元ネタですね。

粽を買うと、鉾に搭乗(拝観)できるようですが、厄除け粽が予想以上に高くて(1,500円)泣く泣く断念。
室町通の鉾と山
四条通から、北側の室町通に入ってみました。ここは車両通行止めになっていて、たくさんの人や露店で大賑わい。

最初に見えてきたのが、菊水鉾。庁内に古くからある井戸「菊水井」にちなんで名づけられ、菊の露を飲んで不老長寿を得た古代中国の少年・菊慈童(きくじどう)が稚児人形となっています。

幕末の大火で焼失したけれど、昭和の名工の手で再建された鉾です。実は鉾への入口になっている会所(ビルの2階)にお茶席が設けられていて、長い長い行列ができていました。

今年(2025年)に長刀鉾に続いて巡行する「山一番」をくじ取り式で引き当てた占出山(うらでやま)。神功皇后が三韓征伐に赴く際、魚釣りで戦占をすると、たちまち鮎が釣れたという故事をテーマにしています。今はまだご神体(神功皇后像)や装飾品もない、シンプルな状態でした。

その後に続くことになった霰天神山(あられてんじんやま)。室町時代後期、京都の町が大火事に見舞われた時、天から霰が降ってきて火事が収まり、小さな天神様の像が屋根の上に舞い降りました。これを火除けの神として町内に祀ったのが、霰天神山の起源になるとか。こちらも山鉾巡行の際には、鳥居や松、そして小さな天神像が飾られます。

偶然、占出山の町会所(まちかいしょ)飾りも見ることができました。巡幸の際に占出山を装飾する、華麗な織物です。

三十六歌仙図の刺繍や日本三景図のつづれ錦など、まさに山鉾は「動く美術館」。

でも夫は、山鉾や町会所飾りよりも、この人だかりが気になっていた様子。祇園祭名物(知らなかった!)の「しみだれ豚まん」に並んでいる人たちでした。
祇園祭の前祭4日間のみ、このお店(膳處漢ぽっちり)で販売される豚まんらしいのですが、美味しいのかな? 一度食べてみたかったな。
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