大河ドラマ『どうする家康』の印象的なシーンのロケ地
2025年11月1日(土)、愛知県の伊良湖(いらご)岬や豊橋市を訪れる機会がありました。鳥羽港から伊勢湾フェリーに乗って伊良湖港に上陸し、港から徒歩10分ほどの「灯台茶屋」で焼きあさり定食を頂き、その後徒歩40分ほど歩いて椰子の実記念碑を訪れた私たちは
次の目的地・日出の石門(ひいのせきもん)に向かいました。
ここに行きたかったのは、珍しい岩(洞門タイプは好き)を見たかったのと(昨年末は、足摺岬の白山洞門に行きました)
NHK大河ドラマ『どうする家康』のロケ地が見たかったから。伊良湖岬の観光名所をネットで調べていて、偶然見つけたのですが、海岸へ降りる道の途中にもこんな看板が出ていました、
長い階段をひたすら降りて(帰りの事を考えると怖くなる)海岸へ出ると
大きな岩山の中に、ぽっかり穴が開いています。岩の素材は、太古の海に暮らしていたプランクトンやカイメンなどの殻や骨片。それが海底に堆積し、地殻変動で海面上に姿を現したのだとか。
チャートと呼ばれるこの岩はとても硬いのですが、断層によってもろくなった部分があり、それが波に侵食されて、このような門ができたそう。
早速中に入ってみました。大河ドラマ『どうする家康』第1話で、せっかく苦労して大高(おおだか)城(名古屋市緑区)に兵糧を運び入れて城を守備するも、桶狭間で今川義元が討たれ、織田軍の中に取り残されてしまった家康(当時は松平元康)が城から脱出し、ここに隠れていましたね。
ロケだと機材の搬入など、大変そう。
洞門の中は予想以上に広くて、人間1人くらいなら隠れることも可能かな。私たちは以前、大高城を訪れたことがあり、今は住宅街に城跡がありますが
家康の時代は海岸近くの城だったらしく、大高城を逃げ出した家康が海岸の岩に隠れたのも、当時なら不自然ではないとのこと(渥美半島に行くのは、さすがに無理だけど)。
門から見える海は、荒々しい太平洋。
石門近くの砂浜は、黒い騎馬武者・本多平八郎(まるでダースベーダー)が、家康を追い回して捕まえた場所。家康の情けなさと、スタントなしでこのシーンを撮影した(鑓も投げた)山田裕貴くんが印象的なシーンでした。
この広い砂浜は、太平洋に面して浜名湖まで約50km続き、「片浜十三里」と呼ばれていたのでした。砂や礫(れき=小石)は、天竜川河口から沿岸流に乗って運ばれたのだとか。自然の力は偉大です。
岸の石門だけでなく、沖の石門もあった
雄大な岩の門も見たし、『どうする家康』のロケ地も見て、大満足で引き返した私たちでしたが、後から調べてみると、重大な見落としがあったのです(いつもの事ですが)。
グーグルマップを見ていると、なぜか、石門が2つある。私たちが訪れたのは「日出の石門(岸の石門)」ですが
その沖合にもう1つ「日出の石門(沖の石門)」があったのです!
さっき見た、この風景の手前にある岩礁かな?
海岸で見た、この小さな岩礁かな?
それとも、もう少し奥にあった岩礁かな? とにかくもう1つ、洞門状の穴が開いている岩があるなんて全く思っていなかったので、完全にノーマークです。ちゃんとした写真が見たい方は、こちらをご覧くださいね。
沖の石門は見落としましたが、日出の石門を自転車で訪れたフィリピン人技能実習生の青年に出会いました。この階段を、自転車を押して昇り降りしていたのです。驚いて(半分感動して)声をかけ、階段途中の展望スポットで写真を撮らせてもらいました。休日を利用してここを訪れたそう。
この展望スポットからの眺め(石門の岩の上部が見える)も、なかなかのもの。沖の石門を見落としたことも含めて、いい思い出になりました。









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