台風22号接近直前の名古屋城へ 日本三名城の1つ名古屋城! 加藤清正が築いた名城

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名古屋城で目立っていた加藤清正

初めて名古屋に降り立ったのが、台風22号が接近した10月29日(日)。

名古屋おもてなし武将隊の演武を二之丸広場特設ステージで見た後は、いよいよ名古屋城見学です。

台風22号接近直前の名古屋城へ 噂の名古屋おもてなし武将隊に会いに行く!

2017年11月14日

名古屋城は、徳川家康が九男義直のために、西国諸大名に命令して築かせるという「天下普請」によって完成しました。

なかでも最も高度な技術を要した天守台石垣は、普請助役として加藤清正が築きました。

この像は、「加藤清正石曳きの像」と呼ばれ、とてもかっこいいものです。

加藤清正というと、熊本(城)のイメージがとても強いのですが、名古屋生まれであるし、名古屋城も築城したし、名古屋おもてなし武将隊にいるのもわかりますね。

下の写真中央にいる緑の衣装の武将が、加藤清正です。

実は名古屋城には、加藤清正の銅像しかないので、彼が城主だと勘違いする人もいるのだとか。

石垣は、加藤清正が担当していない箇所でも、とても立派でした。

表二之門をくぐります。

この石垣も立派ですね。

本丸御殿

門をくぐって驚いたのが、この建物。本丸御殿です。

尾張藩主が居住する御殿でしたが、将軍上洛の際の御成(おなり)専用となり、以後藩主は二之丸御殿に居住しました。

ここに宿泊した将軍は、秀忠、家光、家茂の3人だけ。

その後は藩士により警備と手入れが行われるのみで、藩主でさえ本丸に立ち入るのは巡覧の時のみだったとか。

すごい建物なのにもったいない!

空襲で焼失しましたが、2009年より復元工事が行われ、現在玄関、表書院、対面所、下御膳所が公開されています(まだ工事は続いています)。

興味はあったのですが、時間が限られているので(13:30のコンサートに間に合わせる必要があります)、拝観はあきらめて天守閣へ。

天守閣で金のしゃちほこと対面!

加藤清正が石垣を築いたという天守です。

大阪城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、伊勢音頭にも「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と詠われています。

大天守に上げられた金のしゃちほこ(金鯱(きんこ))は、城だけでなく名古屋の街の象徴にもなっています。

たとえば、サッカーチームの名古屋グランパス(グランパスはシャチという意味もあります)や、名古屋に本社を置くスタンプメーカーのシャチハタの「シャチ」。

空襲で焼失後再建された大天守の地階に、金鯱の原寸大石膏模型がありました。

地階からエレベーターで5階へ上がると、金鯱についての展示がありました。

金鯱が地上に降ろされ、驚いて見物する人々の人形。腰を抜かしている人もいますね。

ウィーン万博にも出展されていたとは、

名古屋の誇り、「三英傑」が勢ぞろい。

築城時の石曳きの様子も、動く人形で再現されていました。

展望室からの眺め

次はいよいよ7階展望室へ!

名古屋城天守閣は、高さでは江戸城や徳川家が再建した大坂城に及ばなかったものの、延べ床面積ではこれらをしのぎ、史上最大の規模だったそうです。

菊花展の会場も見えました。

第70回名古屋城菊花大会・菊人形展示が、11月23日(木)まで開催されています。

復元工事中の本丸御殿がよく見えました。

案内板の景色と実際に見える景色を見比べてみましょう。

お城の中に城下町?!

名古屋城の3階は、とても面白い空間でした。

お城の中に、城下町の賑わいが再現されていたのです。

お城の中といえば、鎧兜や数々の武器、さらには古地図や城内で使われていた江戸時代の調度品などが定番だと思うのですが、ここは展示室に再現された城下町を通して、夜明けから日没まで音と光で藩主のくらしや城下の一日を体験できます。

下のお店は武具屋さんのようです。

さすが史上最大の延べ床面積を誇る天守だけあって、すごい展示ができるのですね。

藩主の暮らし

3階の一画には、とても見事な駕籠が展示されていました。女性用かな?

これは本丸御殿対面所の縮小模型(実際には18畳の広さ)。

藩主が家族や身内、身近な人々との応接、宴席の場でした。

もっと煌びやかな部屋を想像していたけれど、意外と落ち着いた、穏やかな部屋でした。

記録に基づき再現された祝い膳。1798(寛政10)年、後に10代藩主となる斉朝が、一橋徳川家から尾張徳川家へ養子に入ったときに出された祝い膳です。

右上から時計回りに御膾(なます=刺身)赤貝、鯛、栗千切り、きんかん、ぼうふう、御汁(色紙はんぺん、皮付ごぼう、葉付大根)、御飯、御煮物(焼きなす、角麩、いんげん、川茸(水前寺のり)、芋)、中央は御香の物(華瓜、浅瓜、華茄子、山椒)。

右上から時計回りに御刺身(熊笹、花れんこん、子付 細作り、鯉 平作り)、御汁(すずしろ=大根葉)、炊き合わせ?(石かれい、茄子、岩茸、敷味噌)、御煮物(ふき、くしこ=干しなまこ)、中央は猪口(梅枝)。

御焼物(鯛)

右上から時計回りに御河魚(うなぎ)、御焼物(あいなめ付焼き)、御吸物(かれい、芽うど)。

日本刀コーナーもありました。

名古屋城の模型です。広大な城ですね。

「本丸御殿上洛殿上段之間8分の1模型」は非常に精巧な出来で、まさに地元の職人さんたちの匠の技を結集した素晴らしい模型でした。

8分の1では表現が難しい飾金具、土壁、蒔絵、畳、襖などは、実物大で制作しています。

さすがものづくりの街名古屋です。

どうなる名古屋城天守閣

現在河村たかし市長を中心に、天守閣を木造で再建しようという動きがあります。

国の特別史跡である天守台の石垣も修理するため、文化庁の許可が必要となり、名古屋市は2018年10月に許可が下りると想定しているようです。

文化庁の協議が順調に進めば11月から天守閣の入場を禁止し、2019年3月に外部エレベーター、同年9月から天守閣本体を取り壊し、2020年6月から木造復元工事に入る予定なのだとか

果たして木造天守はできるのでしょうか。

どんな姿のお城になるのでしょうか。とても楽しみですね。

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