私が、本格的に大河ドラマゆかりの地を巡り始めたのは2004年(平成16年)放映の『新選組!』からです。
当時から新選組には熱狂的なファンが多く、近藤勇や土方歳三ゆかりの地を巡ったとき、周辺に「誠の隊旗」やのぼり・横断幕などがあっても、新選組なんだし、まぁそんなものだろうと思っていました。
ところが年を重ねるうちに、「来年度大河ドラマ放映決定!」「○○ゆかりの地」など、全国どこに行っても同じようなのぼりを目にする機会が増えました。
大河ドラマには地元への観光客が増えるなどかなりの経済効果も見込まれ、早くから地元が盛り上がっているのでしょう。
その中で、特に印象に残っている人物を紹介します。
地元でも知名度が低かった
地元の人もよく知らなかったのが、2015年(平成27年)に放映された『花燃ゆ』の主人公。
吉田松陰の末妹で、久坂玄瑞(くさかげんずい)や楫取素彦(かとりもとひこ)の妻となった女性・文(ふみ)。
前年の3月に地元の萩を訪れたときは、タクシーの運転手さんや土産物店、人気カフェのスタッフなどに尋ねても誰も彼女の詳しい話を知りません。
今ひとつ盛り上がりに欠けているかなという印象だったのです。
どうせなら松陰先生を主役にして欲しいという話も聞きました。
でもそうなると安政の大獄(主人公の斬首)で話が終わり、その後の幕末維新が描かれなくなります。
女性の視点、そして明治まで続く明るい話にするためには、吉田松陰の妹たちの中で比較的長生きし、かつ夫が有名人の文を主役にするしかないのでしょう。
井伊直虎の場合
これに比べると、同じように知名度が低い女性が主人公だなと思っていたのですが、今年2017年(平成29年)放映の『おんな城主直虎』では、浜松の盛り上がりがすごいと思いました。
前年5月に訪れたときには、既に土産物や各種イメージキャラクターがあふれており、普段は静かな井伊家の菩提寺・龍潭寺(りょうたんじ)も、タクシーの運転手さんが「こんなにたくさんの人が来ているのを、初めて見ました。」という賑わいでした。
でも面白いことに、この盛り上がりは、当時まだ静岡には及んでいませんでした。
井伊直虎はあくまでも遠江(静岡県西部)の人間であり、彼女を苦しめることになる今川氏の地元・静岡(当時は「駿河国の国府=今の県庁所在地的な場所」として「駿府」と呼ばれていました)とは、同じ静岡県だけど元々は違う国であり、温度差があって当然なのだということがはっきりわかって面白かったです。
井伊直虎については詳しいことがまだよくわかっておらず、「次郎法師」と名乗った井伊家の姫君がいたのは確実なのですが、果たして直虎と名乗っていたのか(昨年末、新聞に「直虎男性説」が掲載されました)、そして尼僧姿で政務を執ったのか、尼姿ではなく現在ドラマで放映されているような男装の麗人姿だったのかなど多くの謎がありますが、ドラマはあくまでもフィクションということで、楽しく見ています。
あの人を大河ドラマの主人公に!
印象に残った場所の1つが、2011年7月に訪れた福島県です。
2013年(平成25年)の大河ドラマは『八重の桜』。
当初は別の企画だったのが、2011年3月に起こった東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方を支援するために、会津藩出身の山本八重(後に同志社を設立する新島襄と結婚)を主役に企画され、私も支援を兼ねて郡山市・猪苗代湖・裏磐梯・五色沼・喜多方市・会津若松市などを訪れました。
人がいない観光地と、「もう大丈夫です!安心して観光できると皆さんに伝えて下さい。」と各地で地元の人々に言われたことは、今でも忘れることが出来ません。
会津若松市で、主人公の八重が会津戦争で立て籠もっていた鶴ヶ城を訪れました。
当然会津戦争や白虎隊、松平容保、山本八重(当時は八重の最初の夫・川崎尚之助の知名度もほとんどありませんでした)の解説がありましたが、私が興味を惹かれたのは、城の展示コーナーの一画に置かれていた署名を募るコーナーでした。
そこには「名君保科正之公のテレビドラマ実現のため、署名をお願いします」と書かれていました。
どうやら地元ではかなり以前から、徳川家を支えた保科正之(ほしなまさゆき・徳川家光の異母弟で、会津松平家初代藩主)の大河ドラマ化を要請し、100万人の署名を集めているようなのです。
大々的に発表された女性主人公のハンサムウーマン・山本八重さんも素敵だなと思っていたのですが、地元の人々の想いは少し違っていたのかなと感じました。
(次回に続く)
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