お彼岸特集・あの人のお墓はどこ? 歴代大河ドラマ登場人物の墓巡り2

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昨日に引き続き、大河ドラマ主人公や主役級の人物が眠るお墓を、2011年から2005年放映作品まで、一気に紹介していきます。

昨年の『真田丸』から2012年の『平清盛』までは、こちらを見てくださいね。

お彼岸特集・あの人のお墓はどこ? 歴代大河ドラマ登場人物の墓巡り1

2017年9月25日

2011年放映 江~姫たちの戦国~

信長の妹・お市の方の産んだ浅井三姉妹の末娘で、徳川秀忠の正室となった江(ごう)が主人公。

将軍の正室(御台所)の墓地は、上野寛永寺と芝増上寺にありますが、彼女が眠るのは増上寺の徳川将軍家墓所です。

上の写真は青銅の鋳抜門。

昔は特別な時期にしか公開されませんでしたが、2015年4月2日から、いつでも拝観できるようになりました(朗報です)。

【拝観受付時間】10:00~16:00(最終入場15:45)
【受付】徳川霊廟前 チケット札所
【拝観冥加料】大人500円(高校生以下無料)

昔は壮麗な霊廟が建ち並んでいたそうですが、戦災で焼失。

在りし日の秀忠霊廟の写真がありましたが、かなりすごそうでした。

秀忠墓所の宝塔も焼失してしまったため、現在は江と合祀されています。

仲がいいのか、お墓の中でも奥様の江に頭が上がらないのか、どちらなのでしょうか。

江の墓(供養塔)は他にもあり、高野山にある五輪塔は、数ある墓石の中で一番大きな墓石(一番石)として有名(高さ6.6m)。

これは長男・家光が建てたのではなく、江が愛した次男・忠長が建立したものです。

京都黒谷の金戒光明寺にも、江の宝篋印塔がありますが、こちらは彼女と対立したと伝わる徳川家光の乳母・春日局が建立したもので、2人の間の人間ドラマも偲ばれました。

2010年 龍馬伝

言わずと知れた坂本龍馬を描いた作品で、竜馬の墓は、ほかの多くの幕末の志士らと一緒に、京都霊山護国神社にありました。

数ある墓の中でも、ダントツで一番人気。

竜馬と中岡慎太郎は、墓石でも銅像でも、並んでいました。

ここからの京都の眺めは素晴らしいので(高いところまで登るという意味です)、ぜひご覧ください。

2009年 天地人

「愛」の前立てのついた兜で有名な、上杉家の家老・直江兼続が主人公。

徳川家康に抵抗して「直江状」を送り付け、関ケ原の戦いのきっかけとなった会津攻めを決意させたことで知られています。

昨年の『真田丸』では人のいい主君の上杉景勝を必死でフォローし、「セコム兼続」と呼ばれて人気でした。

その彼の墓があるのは、山形県米沢市の林泉寺。妻のお船の方と並んで眠っています。

近くには上杉神社や上杉家廟所もあり、越後の春日山から大切に運ばれた上杉謙信の遺骸を中心に、上杉景勝や上杉鷹山など、歴代の当主の墓が左右に並んでいました。

上が上杉謙信、下が上杉景勝の墓です。

2008年 篤姫

幕末の薩摩藩から13代将軍家定に輿入れし、御台所として大奥と徳川家を支えた天璋院篤姫が主人公。

彼女と(ドラマではとても素敵に描かれた)夫の家定の墓は、芝の増上寺と共に将軍家菩提寺であった上野の寛永寺にありました。

でもここは普段非公開なのです。

通常は一般公開されていないが、5名以上の団体に限り予約制で毎月3日間程度公開されている。また台東区役所が主催する特別公開が毎年秋に1日だけ(上野の山文化ゾーンフェスティバル)行われている。

『ウィキペディア』

北側の墓所入り口です。

篤姫のお墓は、この塀の向こうかな?

これに比べると、14代将軍の家茂と正室・和宮の墓は、先ほど紹介した芝の増上寺にあるため、有料ですがいつでも拝観できました(行ったときは違いましたが)。

上の写真が家茂、下が和宮の墓です。

2007年 風林火山

武田信玄の軍師・山本勘助が主人公です。

彼は第4次川中島合戦で啄木鳥(キツツキ)戦法を考案するも、上杉謙信に見破られ、激戦の末討ち死にしてしまいました。

その川中島に、彼の墓はありました。

近くには、武田信玄と上杉謙信が一騎打ちをしている有名な像もあります。

武田信玄が亡くなる12年前の戦いでした(松平健さん、武田信玄のイメージにぴったりです)。

高野山奥の院には、武田信玄・勝頼父子の墓もありました。

2006年 功名が辻

司馬遼太郎さん原作の、後に土佐藩主となった山内一豊を支える妻の千代(見性院)が主人公。

千代の内助の功もあって出世街道を歩む2人でしたが、一人娘を長浜大地震で失った後は子供に恵まれず、捨て子を拾って育てました。

その捨て子は僧侶となり、妙心寺で修業を積んで高僧となり、妙心寺大通院2代住持となりました。

妙心寺大通院に2人の廟所はあります。

普段は非公開ですが、時々特別公開を行っているとのこと(私が訪れた時は、非公開でした)。

2005年 義経

源義経は、平家討伐で活躍したものの、兄の頼朝と不仲となり、以前匿ってもらった奥州藤原氏に、再び庇護を求めました。

藤原秀衡は義経に好意的でしたが、秀衡の死後、奥州藤原氏を率いる立場となった藤原泰衡は頼朝の圧力に屈し、義経を襲って殺してしまいます。

義経は、逃避行の際京都から従ってきた正室・郷(さと)御前(武蔵国の豪族・川越重頼の娘)と4歳の娘を殺害したのち、自害しました。

岩手県平泉の高館(たかだち)の、義経が自害した場所に「義経堂」がありました。

江戸時代前期の1683年に、仙台伊達藩4代目藩主伊達綱村が、義経を偲んで建てたものだとか。

義経の墓もありました。

ここからの展望もまた素晴らしく、案内板もついているのでよくわかりました。

本来ならこの次の『新選組!』も紹介したいところですが、これ以前になると写真のデータが保存されておらず、泣く泣くここで打ち切りです。

でも、ざっと12年間を振り返ることができて、とても懐かしかったし、今回紹介できなかった人物のお墓も、また機会があれば訪れてみたいなと思いました。

大河ドラマで活躍なさった皆さん、どうか安らかに眠ってくださいね(合掌)。

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