烏頭山(オドゥサン)統一展望台と板門店(はんもんてん)を訪れた翌日、非武装中立地帯(DMZ)ツアーにも参加しました。
今日のコースも、勝手に一般人が立ち入れない場所のため、ツアー参加が必要なのです。
JSAとDMZ
恥ずかしながら、アルファベット3文字の略称が。なかなか覚えられません。
UFJ(三菱東京UFJ銀行)とUSJ(大阪の誇るテーマパーク・ユニバーサルスタジオジャパン)、そしてLED(最近推奨されている省エネ・長寿命の発光ダイオード)とLSD(強烈な作用を持つ幻覚剤)の区別が、今もなかなかできません。
そんな状態なのでJSAも、最初は銀行やテーマパークと間違えていました(汗)。
以前も紹介したように、JSAとはJoint Security Area(共同警備区域)のこと。
南北軍事境界線上にある唯一の建物、板門店にある軍事停戦委員会の本会議場を、例外的に韓国と北朝鮮が共同で警備しています。
それに対してDMZとは、軍事境界線から南北にそれぞれ2kmずつ、計4kmにわたって設置されているDeMilitarized Zone(非武装中立地帯)のこと。
一面に地雷が設置されているため、通行は不可能です。
そのため半世紀以上にもわたって人間が立ち入れず、自然が豊富で渡り鳥の楽園にもなっているとか。
そんな危険な場所ですが、亡命者や工作員、スパイなどの侵入者に対する警戒は続けられています。
韓国の場合、DMZの南側5~10kmにわたってさらに、民間人の立ち入りを規制している緩衝地帯(民間人統制区域)が設定されています。
つまり北朝鮮との軍事境界線にたどり着くまで、二重のバリアがあるわけです。
このような地域に入る場合は、厳密に指定された観光客用のルートでしか入ることができず、事前の手続きも必要です。
今日のDMZツアーは昨日の板門店ツアーと違い、服装規制はなかったのですが、それでも危険地帯に入るのだなという緊張感はありました。
2004年(平成12年)3月末のことです。
南北統一の願い
ソウルを出発した私達のバスは、昨日も通った「統一路」という、半分未舗装の道を走ります。
南北が統一した暁には、舗装が完成したこの道を、たくさんの車が走るようになるのでしょうか。
バスを乗り換え、最初に到着したのが臨津閣(イムジンガク)。
軍事境界線付近を見渡すことのできる展望台です。
烏頭山(オドゥサン)統一展望台にもあった、北朝鮮側に故郷や祖先の墓がある人達のための祭祀施設「望拝壇」が、ここにもあります。
統一を願うモニュメントが少し悲しげに思えました。
トロッコに乗り、北朝鮮軍のトンネル見学!
今日のツアーのハイライトは、南侵(なんしん)第3トンネルの見学です。
南侵トンネルというのは、北朝鮮が南北の軍事境界線を越えて、韓国側へ掘り進めたトンネルのことです。
現在4本が確認されていますが、この他にも数多くのトンネル発見情報があり、今でも後を絶たないようです。
このトンネルは、1978年(昭和53年)に京畿道(キョンギド)・坡州(パジュ)市で発見されました。
南北軍事境界線までわずか200mの近さということもあって、一番多くの観光客が訪れるようです。
面白いのは、まるでテーマパークのアトラクションさながら、トロッコに乗って急斜面を降りるという楽しい仕掛けがあるのに、トロッコの入り口近くから、撮影が全面禁止になっていること。
この写真も、トロッコの入り口近くで撮影したものです。
もう少し近くから撮影してもよかったかな?
この後カメラを含む手荷物をすべて預け、ヘルメットをかぶってトロッコに乗り込みました。
このトンネルは全長1635mあり、内部の岩は黒く塗られています。
もし韓国側にトンネル掘削が発覚した場合は、「石炭を採掘していた」と言い訳をするつもりだったとか。
「モグラ作戦」で韓国奇襲攻撃計画?!
これらのトンネルは、万が一南北間で武力衝突が起こった場合、前線の背後に短時間に兵士や兵器などを送り込み、敵の後方をかく乱する目的で作られたといわれています。
まるで絵にかいたような奇襲攻撃です。
有事の際にはアメリカ・韓国軍の空爆を避けるために最高指導者・金正恩氏も地下に潜り、全軍の指揮を執ると言われています。
名付けて「モグラ作戦」。
軍事境界線付近で。このトンネルはコンクリートで塞がれており、北朝鮮の様子をうかがうことはできません。
北朝鮮は、果たして今でも南侵トンネルを掘り続けているのでしょうか。
私達は、のんきに楽しくトロッコに乗ってトンネルを見学したけれど、何だかちょっと、違和感を感じた場所でもありました。
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