スリランカ紀行 スリジャヤワルダナプラコッテの歴史と見どころ

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スリランカの首都はどこ?

つい「普通にコロンボでしょ?」と思ってしまいがちですが(スリランカの玄関口も、通称「コロンボ国際空港」ですが)違うのです。

現在の首都は、スリジャヤワルダナプラコッテという、コロンボの東約10kmにある町。

1985年、スリランカの首都は、コロンボからスリジャヤワルダナプラコッテに移りました。

コロンボの歴史

コロンボは港町で、中世にはアラブ商人との交易の中心として、繁栄しました。

そのころ、スリランカにはキャンディ、コーッタなどシンハラ人の王国、そして南インドから来たタミル人の王国がありました。

やがて香辛料貿易を求めるポルトガル人がこの地に来航し、アラブ商人を追放して要塞を築き、各地の王国を攻略しました。

ポルトガル人は、クリストファー・コロンブス(ポルトガル語で「コロンボ」)の名を、この地の名としました。

コロンボはポルトガル領セイロンの首都となり、オランダに攻略されるとオランダ領セイロンの首都となり、キャンディ王国を滅ぼしたイギリスも、コロンボを植民地の首都としました。

現在でも、スリランカの大統領官邸をはじめ、多くの政府機関はまだまだコロンボにあるというのが実情です。

下の写真、中央のギリシア神殿風の建物は、旧国会議事堂(現在の大統領官邸)です。

スリジャヤワルダナプラコッテの歴史

1415年、スリジャヤワルダナプラコッテはコーッテ王国の都となり、当時はジャヤワルダナ(勝利をもたらすもの)と呼ばれていました。

やがて内紛で町は放棄され、王国も滅んだ植民地時代は、コッテと呼ばれていたそうです。

1977年にスリランカの首都を、コロンボからこの町に移転する計画が示され、国会議事堂が移されて、1985年にはこの町が正式に首都となりました。

当時のスリランカ大統領は、あの親日家のジャヤワルダナ大統領。

キャンディの仏歯寺で、ペラヘラ祭で仏歯を載せる象と一緒に写真に写っておられました。

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その彼が、かつて自分と同じ名前だったこの町の古い名前を復活させたため、町の正式名称が「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」(聖なる・勝利をもたらす都市・コッテ)とされたそうです。

「スリ」というのは「聖なる」という意味で、「スリランカ」も「聖なるランカ島」という意味。

そういえば、旅行中あちこちで「Lanka〇〇」と書かれた看板をよく見ました。

親日家のジャヤワルダナ大統領でしたが、まさか彼のおかげで、地理を学ぶ日本の学生たちが、スリランカの長い首都名を暗記するのに四苦八苦することになったとは、きっとご存じなかったでしょう。

ちなみに、タイの首都バンコクの正式名は、これより10倍くらい長いらしいです。

国会議事堂はバワ建築

ゴールからコロンボに行く途中、このスリジャヤワルダナプラコッテを通りました。

以前は国会議事堂の他には何もない、見るからに「未完の計画都市」という町だったようですが、内戦が終わってからは、徐々に移転も進みつつあるようです。

でもやっぱり見どころは、国会議事堂。

なんといっても、スリランカを代表する建築家、ジェフリー・バワの作品です。

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高級リゾートホテルとはまた違う、彼の建築の一面を見ることができました。

沼地を整備して造った人造湖の中央にある島に、国会議事堂は建てられています。

歴代のシンハラ王朝の首都建設で重視された、巨大な貯水湖と仏教寺院という取り合わせが、形を変えて息づいているのかな。

とはいっても、セキュリティーが厳重らしいので、ネット等で予約すれば見学できるようなのですが、内部見学はパスしました。

議会見学に興味のある方は、「議会訪問」(「スリランカ議会」サイト)をご覧ください。

私達は、遠くから国会議事堂を見ただけでしたが、なんとなく、屋根の形が奈良のお寺(東大寺かな)のような懐かしさを感じました。

コロンボから新しい首都スリジャヤワルダナプラコッテまでは、バスで40分程度なので、新しい首都はコロンボの衛星都市であり、コロンボ都市圏の一地域になっているようです。

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