井伊家の菩提寺・龍潭寺の見学記事の続きです。
とても見どころがたくさんあって、予定の見学時間を大幅に超えてしまいました。
開山堂
遠州地方に禅宗を広めた黙宗瑞淵禅師を祀る建物です。
内部には、井伊家で使用された駕籠が展示されていました。
上田城にあった、小松姫(真田信之の正室)の遺骸を運んだ駕籠と比べると、簡素な感じがします。
運転手さんが、「ぜひ見てほしい」と教えてくださったのが、開山堂の屋根。
井伊家の家紋、井桁と橘の紋章を見ることができました。
井伊家御霊屋
開山堂から廊下を歩くと、井伊家歴代当主の位牌を祀る御霊屋(おたまや)です。
こんなに大きな位牌は、初めて見ました。井伊直虎の位牌もあるそうですが、どれかわかりません。
初代(ご初代様)井伊共保像
桶狭間で戦死した、22代当主・井伊直盛(直虎の父)像
家康の四天王と謳われた彦根藩藩祖・24代当主・井伊直政(亀之丞=井伊直親の子・虎松)の像も安置されていました。
私達が訪れた2016年4月30日に拝観できたのはこの3体の木像だけだったのですが、龍潭寺のホームページによると、23代当主・井伊直親の像もあるようです。
井伊直盛・直親・直政3代の当主は、井伊家の危機に耐えてそれを乗り越えた、井伊家にとって特別な人々であると、後々認識されたことがよくわかります。
その歴代当主に井伊直虎は数えられていないし、そもそも女性だった次郎法師が直虎と名乗ったかどうかもわかりません。
でもそれはそれとして、今は大河ドラマを楽しんでみたいなと思っています。
素晴らしい庭園
大河ドラマでは、龍潭寺のシーンといえば、猫のにゃんけいが出てきたり、お坊さんたちが座禅を組んでいたりするシーンと並んで、お坊さんたちが武術の訓練をするシーンがよく登場します。
戦国時代の龍潭寺の庭は、どちらかというとグラウンド、道場のようなものだったかもしれません。
南渓和尚も武術の達人だったと言われていますし、弓の名手・傑山と長刀の名手・昊天(こうてん)は、のちに成人した井伊長政と共に、小牧・長久手の戦いに出陣したと言われます。
ところが平和な時代になると、龍潭寺には美しい庭園が造られました。
小堀遠州作の龍潭寺庭園は、龍潭寺最大のみどころになっています。
中央に守護石、左右に仁王石、手前正面に礼拝石が配され、さらに池の形が心字池となっていて典型的な寺院庭園として貴重なものとされています(国指定名勝庭園)。
ホームページによると、数多くの石組みと築山全体で鶴亀が表現されているそうで、ここでも「鶴」と「亀」が出てくるんだなとしんみり。
見る位置によっても、季節、時間によっても、様々な表情を見せてくれる庭のようでした。
これは書院からの眺めで、井伊家のお殿様が御霊屋のご先祖様に対してご挨拶をされた「遥拝(ようはい)のお庭」です。
こちらは本堂と、浜名湖を表現した「補陀落(ふだらく)の庭」。
観音様が住むというポータラカのことですが、とても美しい石庭でした。
境内にはほかにも「井伊直政公出世の地」碑や、龍潭寺本堂修復記念瓦がありました。
井伊直虎の墓は、許嫁の隣に
さて、ようやく井伊家の墓所へたどり着きました。
お墓のすぐ近くには行くことはできませんでしたが、親切な案内板があるので、よく似たお墓だけれど、どれが誰のお墓かわかりやすいようにされていました。
井伊直虎のお墓は、右から2つ目です。
右から順に、直虎の母、直虎、直親、直親の妻、直政の墓が並んでいます。
あまりご本人たちは気にされていないのかもしれませんが、直親の両隣りに、許嫁だった直虎と、奥様が一緒に並んでいるのはどうなのでしょう。
亀之丞くん、お墓になっても両手に花で、モテモテ状態。
せめて墓だけでも、直虎と直親を隣にしてあげようという後の人たちの配慮なのでしょうか。
最終的にはしのさんも、直虎と仲良くなったから気にしていないかな?などなど、いろいろ考えさせるお墓の並び順でした。
ちなみに直虎の戒名は「妙雲院殿月船祐圓大姉」で、本名の伝わっていない彼女としては(「おとわ」というのはフィクションです)、唯一残る、女性らしい名前だなと思いながら、墓所を後にしました。
最期に訪れた仁王門。
とても見どころいっぱいだった龍潭寺。
大河ドラマ放映がなかったら、知らずに過ごしていたかもしれない寺院でしたが、訪れることができてとても良かったと思いました。
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