上田城と真田神社 真田一族と『サマーウォーズ』の足跡を訪ねて 

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日本100名城の1つ、上田城へ

大河ドラマ『真田丸』が放映される前年の、2015年5月に上田市を訪れました。

大河ドラマ決定の盛り上がりがすごかった上田市ですが、忘れてはならないのが、『サマーウォーズ』の舞台でもあること。

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真田一族が好きな人も、『サマーウォーズ』ファンにも、どちらも楽しめるのが、真田昌幸が築いた上田城です。

最初に目についたのは、城址公園にあるこの石碑。

2005年に上田城と大阪城が、友好城郭提携(そんなのがあったんだ!)をしたときの記念碑でした。

近くにある上田市立博物館には、真田昌幸の甲冑や信繁(幸村)の手紙など真田氏関係の展示品の他、養蚕に関する展示も充実していて、とても見ごたえがありました。

陣内(じんのうち)家の門のモデル

上田城の東虎口(こぐち)櫓門(やくらもん)は、明治の古写真と発掘調査をもとに1994(平成6)年修復され、当時の姿を取り戻しました。

真田十勇士に扮した、おもてなし武将隊の方もおられます。

この門が、陣内家のお屋敷の門のモデルになっているようです。

実は真田信之関係の展示が多い

真田三代の顔ハメパネルがありましたが、お兄ちゃん(真田信之)がいない!気の毒すぎる。

大河ドラマ放映が終わった現在は、どうなっているのでしょう。

でも実は上田城には、真田信之にゆかりのものが多いのです。

門のそばの石垣には、真田信之が松代に移封になった際、父の昌幸の形見として持っていこうとしたけれど、微動だにしなかったという大きな真田石がありました(現在の石垣は、仙谷忠政が造ったもの)。

空を見上げると、隅櫓が青空に映えて美しいです。

いざ櫓の中へ!(大人300円)

甲冑は真田家のものではないけれど、やっぱり城内に展示されていないと寂しいです。

これは埼玉県の鴻巣(こうのす)宿で、旅の途中に亡くなった真田信之の正室・小松姫の遺体を、上田城へ運んだ駕籠

ここに、実際にあるとは知りませんでした。

鯱(しゃち)瓦や古地図も一見の価値あり

上田城跡から出土した遺物をもとに復元された、真田昌幸時代の上田城の金箔鯱瓦。

華やかな大坂城に代表される秀吉時代の建築の影響が、上田城にもあったのでしょう。

『サマーウォーズ』でも紹介されていた、第一次上田合戦や第二次上田合戦の解説パネルもありました。

これは佐久間象山が所持していた1583(天正12)年の古地図で、真田昌幸による上田城築城が始まった頃です。

こちらは、真田信之が上田城主だった元和年間の地図です。

上田城が遊郭だった?!

由緒あるお城ですが、明治になって櫓は解体され、民間に下げ渡されて遊郭に転用されていたとか(左上の写真)。

ちょっとショックだったけれど、やがて市民の運動によって、櫓は買い戻されました。

そして移築復元されたのがこの櫓で、ちゃんと鉄砲狭間もあります。

これは上田城の模型です。

上田市HPによると、市による上田城整備計画は、これからも続いていくそうです。

詳しくはこちらをご覧ください(上田城跡の保存・整備)。

私の地元でもそうですが、城下町ってやはりお城を整備・復元したいという気持ちが強いんですね。

今度来るときは、どんな上田城を見ることができるか、楽しみです。

真田神社

続いて訪れたのは、上田城内に鎮座する真田神社

明治時代に創建され、真田氏、仙谷氏、松平氏という歴代上田城主を祭神としているとか。

でもやっぱり、神社の名前になっているのは真田氏です。

参道には、とても変わった茶室(酒樽茶室)がありました。

そしてやっぱりこれ!真田幸村(信繁)の兜です。

歴代の城主様ではないけれど、彼も祭神なのでしょう。

真田の抜け穴になっている井戸もありました。

この穴が、九度山や大阪に今も伝えられている「真田の抜け穴」のルーツ。

真田神社では大河ドラマの成功と、自分や周囲の人たちの幸せを祈願しましたが、大河ドラマの成功については見事に願いが叶いました。

もう1つのお願いも叶っているかな?

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