「天空の城」大野城の麓にある柳廻社(やなぎのやしろ)
クラブツーリズムの大阪発日帰りバスツアー「2日間限定のクラブツーリズム特別企画!宝物館特別公開と二胡ミニコンサート開催!越前の苔寺!白山平泉寺と越前大野城」で大野城(福井県大野市)を見学した後、亀山を下って柳廻社へ戻りました。
亀山山麓にある柳廻社は、大野城見学が終わってから参拝するようにと女性添乗員の柴田さんから言われていて、やっと参拝。
名君といわれた幕末の藩主・土井利忠をまつり、その名前も利忠公の雅号「柳涯(りゅうがい)」に由来しています。
幕末の藩主で、財政難の大野藩を立て直すため倹約や地場産業奨励、人材登用、藩校明倫館や洋学館の建設、弓槍から大砲・銃を主体とする軍制改革などを行い、樺太開拓も目指すなど、スケールの大きい人物でした。
あの「学びの里めいりん」は、この殿さまがいなかったら存在しなかったかもしれません。
願いがかなうように、作法にのっとって参拝。
境内の石灯籠や樹木には、まだ10月だというのに(そして亀山山麓ではツクツクボウシが鳴いているのに)、もう雪吊がされていました。
神社の近くには、大野市民俗資料館があり、懐かしい農具が展示されていました。
この建物は、1889(明治22)年創建された大野区裁判所で、1968(昭和43)年にこちらに移築されたそうです。
ここには大野市の観光マップもあり、よくみると、大野城の他にも見どころがたくさんあります。
頑張って、少し他の見どころも見学することにしました。
伊藤慎蔵と洋学館
亀山からバス駐車場へ戻る道に、面白い掲示板がありました。
まだ公示前なのに、総選挙の掲示板で遊んでいるのかと思ったら、れっきとしたイベントだったのですね。
この掲示板に隣接して、「伊藤慎蔵先生顕彰碑」という石碑がありました。
名君・土井利忠は、蘭学を振興させるため、大坂から緒方洪庵の適塾で塾頭をつとめた伊藤慎蔵を招きます。
蝦夷地や樺太の開発を目指す大野藩は、西洋技術の習得と実践を目指しており、新たに蘭学館(後に洋学館)が新たに建設され、生徒が全国から集まるようになりました。
上の写真は「大野藩洋学館跡の碑」です。
平成大野屋
土井利忠の時代、勝手方一向奉行の内山良休は、大野藩の地場産品を藩の直営商店を通じて売り出すことを考案し、1855(安政2)年、大坂に大野屋を開業します。
その後も大野藩は、箱館、岐阜、名古屋、越前各地に藩の直営店・大野屋を開業しました。
その「大野屋」開拓精神を引き継ぐ「平成大野屋」は、大野市と大野市民132名が出資して設立された、市民参加型の第3セクターの会社です。
その「平成大野屋」が運営する施設の1つ「結楽座」。
大野市の物産や特産品の販売だけでなく、歴史の紹介なども充実していました。
大野市でのショッピングは、この「平成大野屋」の他に、「七間朝市(しちけんあさいち)」が有名らしいです。
生産者さんとおしゃべりしながら買い物し、調理法なども教えてもらえるとして人気だそうですが、残念ながら午後に訪れたので、朝市は終わっていました。
朝市を楽しむためには、泊りがけで訪れる必要がありそうですね。
初代大野城主・金森長近が結ぶ縁
平成大野屋「結楽座」の近くに、面白い時計台がありました。
美濃市や高山市のまちづくりを行ったことで有名な金森長近が、それより前、大野町の城下町を築いたことにちなんで、美濃市に現存する川湊灯台をモチーフとして時計台としたそうです。
この夏に訪れた、出石にも川の灯台がありましたが、形が少し違っているようです。
灯台も色々な形があって、面白いですね。
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