大河ドラマで学び直せる日本史 真実の廃藩置県(『西郷どん』第40~41話)

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最初から菊次郎と一緒に上京

『西郷どん』第40話で描かれた廃藩置県ですが、実際はもっと緊迫感があったし、戦争も辞さなかった決意が新政府のメンバーにはあったようでした。

1870(明治3)年12月、勅使の岩倉具視や副使の大久保利通が鹿児島を訪れ、西郷隆盛に政治改革(廃藩置県)のため上京するよう説得します。

彼らは島津久光の上京説得には失敗するのですが、西郷は「地位や名誉のある人たちがわざわざ出向いてくれる」という説得パターンに弱いのか、上京を決意。

翌年西郷は、10歳の菊次郎と鹿児島を出発します。

途中山口で木戸孝允や旧藩主・毛利敬親(たかちか)父子、高知で板垣退助や旧藩主・山内豊信(とよしげ)父子と会見し薩長土の連携を説き、薩長土3藩で構成する御親兵の創設を決定しました。

万が一、廃藩置県に抵抗する藩があれば、西郷が天皇の軍隊である御親兵を指揮して、その藩と戦うという覚悟でした。

ドラマでは完全に、薩摩藩士の新しい就職先として描かれていますが、もし内戦になっていたら大変だったことでしょう。

いきなりの廃藩置県

鹿児島に戻った西郷は、知藩事の島津忠義を奉じ、5千人の兵を率いて上京。

御親兵の武力を背景に、明治天皇は、在京の知藩事を集めて廃藩置県の詔勅を出しました。

新政府内部では反対論も強かったようですが、西郷は反乱になれば自分が鎮圧すると言い、半ば騙し討ちに近い形で廃藩を断行します。

これにより旧藩主は失職して東京移住が命じられ、各県には新政府が任命された県令が派遣されることとなりました。

新政府による中央集権体制が、初めて完成したのです。

新政府が懸念した旧藩主による反乱は起こりませんでしたが、鹿児島にいた島津忠義の父・久光はこれに激怒し、終夜錦江湾で花火を打ち上げさせました。

反乱はなぜ起こらなかったのか

旧藩主であった知藩事は失職しましたが、旧藩主家の収入には旧藩の収入の一割があてられ、旧藩士への家禄支給の義務および藩の債務から解放されました。

失職しても収入はある。そして大都会東京暮らし!

おまけに旧藩士への家禄は支払う必要はなく、藩の債務は政府が肩代わりしてくれる。

これは絶対おいしい取引だったと思います。島津久光にとっては怒り心頭だったとしても。

昨年の『おんな城主直虎』でも「城主はつらいよ」というタイトルがあったように思いますが、領主(大名)の地方政治の仕事はかなり大変。

人々の争いをまとめ、暮らし向きに心を配らねばなりません。政治を真剣にやろうと思うと大変なのです。

面倒で大変な仕事を政府がやってくれるなら、これはラッキー!と考えた藩主がきっと多かったのではないでしょうか。

東京での西郷家は長屋じゃない!

ドラマでは長屋暮らしとなっている東京の西郷家ですが、あり得ません(警備上の問題など)。

政府は明治維新の功労者に、東京の旧大名屋敷を払い下げていました。

西郷にも日本橋蛎殻(かきがら)町・小網町・人形町にまたがる姫路藩主・酒井雅楽頭(うたのかみ)中屋敷(2,633坪)を与えられましたが、薩摩の伊地知正治と屋敷を二分し、書生15人と下男7人、犬数頭と暮らしていました。

この頃西郷従道は、鹿児島から妻の清子を呼び寄せますが、西郷は妻の糸子を鹿児島に残したままでした。

テニスコート1面が260㎡なので、西郷の江戸屋敷の広さはテニスコート5面分ほどもあったのです。広い!

男所帯で贅沢もしていなかったと思いますが、東京の長屋暮らしはいただけません。

磯田先生、何とかしてほしい!

ストレスで激太りの西郷隆盛

明治天皇ともいい関係が築けているような西郷隆盛ですが、どうも彼は、明治以降ストレスで体調を壊しやすくなっているのか、健康面では常に心配させられます。

ストレッサーは、何といっても島津久光。

ドラマのように、あっさり仲直りなんてしてもらえませんでした。

明治天皇鹿児島行幸の際も、忙しい西郷が久光に挨拶に行けないと、すぐに怒りの手紙が届いたりしたそうです。

久光は、自分の思い描いた新しい国と全然違う方向に進んでいく、新政府が許せない。

でもそれは、100%西郷の責任ではないので、西郷のストレスも倍増です。

また、廃藩置県成功後、さっさと海外に行ってしまった岩倉使節団。

その留守を守る政府の仕事は、とても忙しいものでした。改革は一度やると止められず(岩倉使節団の出張中でも)、結果的にはかなりの改革を留守政府はやり遂げました。

西郷はどんどん太ってしまい、天皇付きのドイツ人医者からダイエットを命じられます。

ダイエットの方法としては、今も昔も同じでした。

デトックス(余計なものを排出する)、つまり下剤の服用。

そして食事療法。ウナギ大好きな西郷ですが、鳥のささ身を頑張って食べていたようです(ウナギは犬が食べていた)。

もちろん運動もしました。

今ならジム通いかもしれませんが、犬と一緒の狩猟が大好きだったので、これが彼のいい運動になったようです。

廃藩置県がすんなり進んだのはいいけれど、そのあとすぐに、政府の半分近くが海外に行ってしまうような国は、今でもあまりないでしょう。

西郷隆盛も、いろいろストレスが多かったのだなとちょっと同情させられました。

 

 

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