埼玉古墳群を訪ねて  ワカタケル大王の鉄剣と、石田三成に出会う旅

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埼玉といえば!

2013年8月、夫が仕事の都合で埼玉を訪れることになり、夏休みだった私も同行しました。

埼玉県と言えば今なら『翔んで埼玉』という映画でしょうが、当時の私たちは、テレビで紹介されていた稲荷山古墳出土の鉄剣がどうしても見たかったのです。

稲荷山古墳のある埼玉古墳群は、埼玉県の中でも行田(ぎょうだ)市という、群馬県境の町にありました。

行田市と言えば、映画『のぼうの城』で描かれた忍城(おしじょう)の舞台でもあります。

今なら『陸王』の舞台としても、人気が出ている町ですね。

県立さきたま史跡の博物館

行田市の玄関口、行田駅です。

ここが「埼玉」という地名発祥地の地なんですね。

石田三成が忍城攻めの際に築いた「石田堤」を見ながら、ワカタケル大王の鉄剣のある埼玉県立さきたま史跡の博物館へと向かいました。

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想像していたよりも、とても大きくて立派な博物館です。

ここで念願の鉄剣とご対面! 文字も思っていたよりも白く、はっきりしています。窒素ガスを封入したケースで保管・展示されていました。長さは73.5cmと、予想以上に大きいです。

教科書などにも掲載されていますが、博物館のパネルにも、鉄剣の銘文が紹介されていました。

「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」の銘文が発見されたことで、それ以前に発見されていたけれど、保存状態が悪くて判読できなかった熊本県江田船山古墳から出土した鉄刀銘文(「治天下獲□□□鹵大王」)も、ワカタケル大王すなわち雄略天皇とする説が有力になっています。

雄略天皇は、5世紀末に中国に使者を派遣し朝貢してきた倭王・武に比定される人物で、埼玉県から熊本県まで広大な地域を支配していたことが、2つの古墳から見つかった副葬品で説明できますね。

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ワカタケル大王の文字が刻まれた鉄剣ばかり見てしまいますが、古墳の副葬品は、他にもたくさんありました。

刀剣類はほかにも出土しています。

帯や馬具の飾り金具も目を引きます。

古墳時代人は、男性も案外きらびやかなファッションだったのかもしれません。

埴輪もかわいい! 癒されます。右側は犬かな?

最初の埴輪は上の写真のような円筒埴輪で、そこからだんだん形象埴輪へと進化していきました。

当時の様子がわかる、貴重な資料ですね。

馬も戦いに利用されるようになりました。馬の埴輪も、どこか凛々しいですね。

さきたまと埼玉 県名発祥の地で歴史を学ぶ

博物館を見学した後は、広大なさきたま古墳公園で古墳見学です。

ここは9基の大型古墳からなる「埼玉古墳群」を中心に、さっき訪れた博物館や、移築古民家(下)など、多くの施設が含まれる広大な公園。

実際に埴輪をつくることができる「はにわの館」もありました。

それにしても9基も古墳があるなんて! しかも稲荷山古墳は一番奥なので、歩いて回るとかなり時間がかかりそう。稲荷山古墳に行くのは断念しました。

歩いていると面白い石碑に出会いました。「埼玉県名発祥之碑」と書かれています。

この辺りは江戸時代、「埼玉(さきたま)郡埼玉村」となり、やがて浦和県や岩槻県と合併して「埼玉県」(旧)が誕生。これが現在の埼玉県の東側です。

一方、現在の埼玉県西半分は「入間(いるま)県」となり、やがて群馬県と合併して「熊谷(くまがや)県」となりました。

しかし僅か3年で熊谷県は解消され、旧入間県は旧埼玉県と合併。

こうして現在の埼玉県ができたのでした。納得です!

古墳と古代蓮

稲荷山古墳は無理でしたが、いくつか古墳を見ることができました。

まず最初に訪れたのが、瓦塚古墳という前方後円墳。全長73m。

たくさんの形象埴輪が出土したそうです。

古墳群の中でも最も小さな愛宕山古墳(前方後円墳)。

全長53mですが、長方形の濠が、古墳全体を二重に取り囲んでいたそうです。

蓮が美しく咲いていました。

行田市の「市の花」は古代蓮。

1,400~3,000年前に地中深く埋もれて眠っていた蓮の種が、偶然工事の際に発見され、種が発芽し花を咲かせたということで、一躍有名になりました。

石田三成も登った古墳!

古墳公園の一番奥にあるという稲荷山古墳探訪を諦めた私たちですが、どうしても行きたい古墳が、それとは別にありました。

それが「丸墓山古墳」。直径105m、高さは18.9m。

日本最大規模の円墳で、他の古墳には登れませんが、稲荷山古墳とこの丸墓山古墳は登ることができます。

中腹には「埼玉古墳群」の石碑も。かなり古い?

「日本最大規模の円墳」というのもすごいけれど、それ以上にすごいのは、1590年に石田三成が、この古墳の頂上に陣を張ったこと。

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この場所を、石田三成も歩いたと思えばちょっと感動ものです。

古墳時代はこんな姿だったようです。

忍城を水攻めにする際に石田三成は、丸墓山古墳を含む半円形の「石田堤」を28kmほど築きました。

 

今はこんな姿です。

石田三成も、この古墳の頂上から(少しイライラしながら)こんな風景を眺めていたのかな。

古墳を下るときも、なかなか眺めがよかったです。

公園の近くには「めざせ世界遺産!」という看板が設置されていましたが、今のままでも十分楽しい史跡だなと思いながら、古墳公園を後にしました。

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