ピーチで吉野ケ里! 再現された環濠集落 弥生時代の暮らしはどんなもの?

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2019年7月8日(月)、ピーチで早朝、関空から福岡へ移動しました。

福岡県の水郷・柳川を満喫した後、次の目的地である佐賀県の吉野ケ里遺跡へ行きました。

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環濠集落を見学 復元された「大人」や「王」の家

展示室を見学した後、環濠集落を見学しました。

最初に訪れたのは、「南内郭」と呼ばれるエリア。

門の上にある鳥の彫刻は、池上曽根遺跡など弥生時代の遺跡でもあるのだとか。雲南省とミャンマーの国境地帯では、今でもアカ族の村などで見られるそうです。

復元された竪穴住居に入ることもできました。『魏志倭人伝』ではそこそこ高い身分とされる「大人」の家だそうです。

屋根も立派です。茅葺の匂いがしました。

住居の中心には、炉もあります。煙はどうして排出していたのかな? 煙たかったのかな?

大人は、外国の人(左)と話をしたり

武器を整えたりなど、いろいろな仕事をしています。その様子も人形で再現されていました。

集会用の住居です。王や大人たちが集まって、いろいろな話し合いをしていたようです。

それにしても、大人の家はあるのに、『魏志倭人伝』では低い身分とされた「下戸(げこ)」の家はありません。

下戸ってまさか、ホームレス???

ムラの共同調理場

竪穴住居の炉で調理をしていたなら、暗いし煙が出そうで大変だなと思っていたのですが、南内郭には「煮炊屋」という調理場(半地下の竪穴住居ではない普通の小屋)がありました。

ここでムラの王や大人たちの食事を作っていたようです。

どんなものを食べていたのかな?

今では高級品の、山の幸や海の幸があるかな?

王の家と、王の妻の家

ムラの王の家です。

これが王とその家族(妻?)。

アクセサリーや食器、敷物などはまぁ他の大人よりは少し立派だけれど、それでも何となく地味。

こういう品々も、権威のシンボルかな?

「王の妻の家」というのもありました。第2夫人かな?

昔の機織りの方法(地機)ですね。

物見やぐら

環濠集落で目を引くのが、見張り台や物見やぐら。

この日は中国系(台湾?)の修学旅行生らしき学生グループが、40人ほど来ていて、物見やぐらは人気のスポットでした。

眺めは抜群!

今回訪れることができなかった「倉と市」エリアの建物が、とてもよく見えました。

これから目指す「北内郭」の巨大な祭殿。あそこまで遠いのかな?

物見やぐらの近くには、弥生時代の兵士のコスチュームがあったり、

ムラで使われていたものが展示されていたりしました。

ちょっとした屋外博物館ですね。

北内郭の巨大祭殿

次に訪れたのが、北内郭。板塀が凄すぎる! セキュリティーが厳しいですね。

ここは吉野ケ里遺跡の集落の中で、最も重要で神聖な場所とされていたそうです。

その舞台が、巨大な祭殿。

でもこれ、上るのがとても大変そうなんだけど、弥生人は平気だったのでしょうか。

屋根の上に、船の飾りがあるのにびっくり! 他の遺跡の建物にも、こんな飾りはあるのかな?

内部では、重要な祀りの真っ最中。

王を中心に、周辺のムラのリーダーも集まっているようです。

実際も、こんな色とりどり(しかもグループごとに統一されている)の服を着ていたのかな?

王も先ほどの地味な服装とは打って変わって、紫の服で威厳がありそうです。

更にその上層部では、最高の権威ある巫女が神のお告げを聞いています。

巫女が神がかりしやすいよう、琴を奏でる人物や、神意を解釈する審神者(さにわ)と呼ばれる人物がいるなど、神功皇后の神がかりの様子からヒントを得て再現しているのかな。お告げの結果は、後ろに控えている従者たちによって、階下にもたらされました。

祀りに使っているのは、中国からもらった?銅鏡。この頃はもう、銅剣や銅矛、銅鐸は時代遅れになっていたのでしょうか。

北内郭に唯一ある竪穴住居。従者の家らしいです。「下戸」でもまだ恵まれている方かな?

一見倉庫に見えますが、実は先ほど神の声を聴いていた最高の巫女の家。神聖な区域にあり、倉庫と違って正方形に近い形をしています。下の写真は、巫女のプライベートルーム。

最高の巫女になると、「神の妻」でもあるため、一般にはほとんど姿を見せることもなかったのだとか。邪馬台国の女王卑弥呼もそうですね。

遺跡公園の建物の多くは、柱の跡や木材が遺構として残っており、これをもとに復元されているそうです。それだけ多くの建物がここにあったとは!

吉野ケ里遺跡で気になったこと

それにしても広い立派な公園なのに、中国系の修学旅行生もいたとはいえ、平日のためか観光客は少なめ。

まだ未整備ゾーンがあるので、最終的にはもっと広い公園になりそうですが、大人1人460円の入場料を徴収しているとはいえ、採算は取れるのかな?

国営歴史公園として整備が決定した1992(平成4)年は、ちょうどバブル崩壊の時期。

立派な「ハコもの」を各自治体が造っていた時期です。

JR吉野ケ里駅も、遺跡をイメージさせる立派な駅。でももう少し遺跡に近かったら、もっといいのに。

弥生時代の遺跡だけでなく、バブル時代の痕跡をとどめる遺物にならなければいいなと思いました。

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