2019年11月3日、京都刀剣御朱印めぐりに行きました。
御朱印の配布が終了した藤森神社を除く、3つの神社を巡ります。
まず最初に訪問したのは、京阪七条から徒歩10分ほどの場所にある豊国神社でした。
次に訪れるのは、東山三条にある粟田神社です。
東山通を走る市バスが混雑しすぎ!
豊国神社からは、市バスで粟田神社を目指します。
まず豊国神社から、最寄りのバス停「三十三間堂前」(七条通)へ移動(徒歩5分ほど)。
バスは100,110,206系統に乗ります。
でもこれらのバスは全てJR京都駅から来るので、国内外の観光客で超満員!
しかも行先には、清水寺や祇園、八坂神社などがあるのです。
三十三間堂前で降りる人もいるけれど乗る人も多く、私たちも無理やり乗り込みました。
次のバス停「東山七条」で、地元の方らしき老婦人が「私ら年寄は、こんなバス無理や」と言って乗るのを諦めておられました。
これが京都市民を悩ます「観光公害」。
私たちも、清水寺くらいなら歩くのだけれど、七条から東山三条まではちょっと大変なのです。
京阪七条駅に戻って京阪三条まで行って、そこから地下鉄に乗ってもよかったのかな(後でわかった)。
何とか東山通のバス大混雑を解消する手段はないのでしょうか。「地下鉄東山線」というのがあれば便利なのに。
旅立ち守護の粟田神社
バスで東山三条まで約15分(渋滞していたらもっとかかるかも)、そこから粟田神社までは徒歩7分です。
京の七口(京都の7つの出入り口)の1つである粟田口(三条大橋や東海道・中山道につながる)にあるため、道中の安全を願う人々が多かったそうです。
第一鳥居は、三条通りに面していました。
あまりいい写真ではありませんが、こちらが第二鳥居です。
御朱印を頂くと、神社の由緒が書かれた紙を頂くことができました。
立派な本殿。
お宮参りのご家族がおられました。
こちらは拝殿。
下の写真は神楽殿。
粟田神社のお祭りはとても盛大なようで、ねぶた祭りのような「粟田大燈呂」も、途絶えていたけれど芸大生らの協力で復活したのだとか。
境内に祀られている太郎兵衛神社。
土地の守り神だそうです。
山崩れを防ぐための壁かな? レンガの壁があって、少しミステリアスな雰囲気でした。
隣にあるのは北向稲荷神社です。
境内からは、京都の町が一望できました。
粟田神社の御朱印(300円)。
「京 粟田口」の文字が印象的です。
鍛冶神社
二の鳥居の近くにあるのが、末社の「鍛冶神社」。
刃物、鍛冶及び勝運、開運の社として、製鉄の神「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)」と、刀工の「三条小鍛冶宗近」「粟田口藤四郎吉光」が祀られているのです。
粟田口近辺は平安~中世に刀鍛冶で知られ、刀工は「粟田口」や「三条小鍛冶」を名乗りました。
『刀剣乱舞』で一躍有名になったこの神社には、ファンからの熱いメッセージの書かれた絵馬がずらり。
皆さん絵が上手です!
明治天皇の歌碑もありました。
鍛冶神社の御朱印は、粟田神社の社務所で頂きます(書置きのみ)。
通常の御朱印もあるのですが、せっかくなので、大判の「三日月」を頂きました(500円)。
「一期一振」という御朱印もあるので、またいつか来てみたいです!
「三日月宗近」は平安時代に造られたという「天下五剣」の1つ。
秀吉の正室・北政所から徳川秀忠に贈られ、徳川将軍家に代々伝わったという名刀。
現在は、東京国立博物館に所蔵されています。
松平定信が「天下五剣の中でも天下随一!」というだけあって、美しい刀なのでしょう。
本物もまた一度見てみたいな。
相槌稲荷神社
この神社も、鍛冶神社と同様、BS朝日で『京都ぶらり歴史探訪 刀剣 秘められた真実』という番組を見ていなければ知らなかった神社です。
この神社は粟田神社一の鳥居の外にあり、私たちもついつい忘れてしまいそうになりました。
粟田神社とは、三条通りを挟んで反対側。
「この赤い鳥居は何かな?」と好奇心を働かさなかったら、多分私たちは、この神社に出会うことはなかったと思います。
ここが参道?と驚きましたが、地図もあるのでどんどん進みます。
こんなところも通ります。まさに「路地裏の神社」。
平安時代の刀匠、三条小鍛冶宗近が稲荷大社に祈願し、狐と共に宝剣『小狐丸』を打ちあげたという逸話で有名。能や歌舞伎でも上演されているそうです。
神社自体は、新しい感じがしました。
御朱印は、粟田神社社務所で頂きました(書置きのみ 300円)。由緒書も頂きました。
その宝剣「小狐丸」は、現在行方不明なのだとか。どうなったのかな。気になりますね。
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