明智光秀岐阜の旅6 可児市の明智(長山)城へ 光秀の叔父・明智光安と一族の悲劇 

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2019年3月30日(土)~31日(日)、明智光秀の生誕地を訪ねる旅に出ました。

訪れるのは岐阜県の恵那市と可児(かに)市。いずれもあまりなじみのない土地です。

最初の30日は、まず恵那市を訪れました。

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JRとKバスを乗り継いで名鉄明智駅へ

2日目の最初の目的地は、明智光秀の生誕地として有力な、可児市の明智城。

恵那市からはJRで移動です。まず中央線で名古屋寄りの多治見駅へ向かいます。

多治見駅ホームの椅子には、座布団が置かれていてとても癒されました。

多治見駅からはJR太多(たいた)線で可児駅へ。ここからKバスという可児市運営のバスで、名鉄明智(下)駅へ。

ちなみに、昨日訪れた恵那市にも、明知鉄道明智駅というのがあります。

明智光秀の生誕地の有力候補が、可児市と恵那市というのも頷けますね。

名鉄明智駅から徒歩で明智城へ

ここからは、グーグルマップを頼りに明智城まで徒歩。

昨日はバスツアーで楽々連れて行ってもらいましたが、今日はほとんど人通りのない道を、自分たちで歩きました。ちょっと心細い。

とりあえず最短距離の道を選んで歩き、40分ほど歩いて明智城に到着しました。

山の上の住宅団地の中を歩き、どうやらお城の裏手から入ってしまったようです。門も何もありませんでした。

この案内板も、もう少しリニューアルしたほうがいいと思います。大河ドラマ効果で新しくなるかな?

馬防柵があったのでびっくり。

こんな山の上(標高178mなので、昨日行った明知城や妻木城より低い)に、馬で登る人がいるのかな?

敵兵除けかな?

中世山城の面影を残す明智城

先ほど紹介した、かなり年季の入った案内板に書かれていたように、明智城には、中世山城の面影がよく残っていました。

本丸跡も、山の中です。

展望デッキもあり、ながめもとてもよかったです。

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明智光秀の叔父、明智城に散る

この城は、明智光秀の生誕地候補地の1つとされ、伝承では明智光秀の叔父・光安が、光秀の父の死後城代となっていたとされています。

しかし弘治2年(1556)、斎藤道三と息子の義龍の争いに巻き込まれ、中立の姿勢をとったものの、勝利した義龍からは「味方をしなかった」として攻撃され、落城してしまいました。

明智光安は870余人の家臣とともに籠城し、義龍軍3,700余と2日間よく戦い、明智家の再興を光秀に託して彼を逃がした後自刃したといわれています。

この「七ツ塚」は、その時討ち死にした明智軍の七武将を葬ったもの。

武将たちの名前は書かれていませんでしたが、戦争の激しさが伝わります。

珍しい魚の化石も発見された!

この近くには、明智光秀とは関係のない、もっと古い歴史をしのばせる石碑がありました。

それがこの、コウライオヤニラミという魚の化石の発掘記念碑。

1,800万年前ほど前、日本と朝鮮半島が陸続きであったことを裏付ける、幻の淡水魚の化石が、日本で初めて、ここで発掘されたのです。

現在この魚は、朝鮮半島と中国の一部にしか生息していない淡水魚で、ちょっと気が荒いみたい。

観賞魚として輸入されることもあるそうですが、太古の時代には、この辺りにも泳いでいたんですね。

明智城の大手門

やがて道は下り坂に。山を下っているようです。

こんなところに大手門が! この坂は、桔梗坂と呼ばれているそうです。

やっぱりこちらの道から上ったほうが、お城らしくて雰囲気出たかも(でも坂が急そう)。

案内板も、先ほどのものに比べて断然立派!

何の花だろう?とてもきれいで春らしい。

明智城口に立ち寄るKバス(昨年は行きませんでした。やはり大河ドラマ効果!)の路線名が「光秀桃山陶線」と書かれていたので、桃の花かなと勝手に思っています。

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