穴太衆の石垣が残る門前町 坂本
2011年6月、比叡山延暦寺(東塔エリア)と日吉大社を参拝しました。
日吉大社のある坂本は、比叡山延暦寺の門前町。
日吉大社から下る道の両側には、立派な石垣が続いていました。
これこそ、安土桃山時代に活躍した石工集団・穴太(あのう)衆が築いた石垣です。加工しない自然石を巧みに組み合わせた「穴太衆積み」(別名「野面積み」のづらづみ)です。
彼らも坂本に住んでいました。古墳築造に携わった一族ではないかと言われています。
以前テレビで、穴太衆唯一の末裔・株式会社粟田建設の仕事ぶりを見たことがあったので、とても興味深く見ることができました。「石の声を聞く」と、組み合わせ方がわかるのだそうです。
元々は寺院の仕事をしていたけれど、その高い技術で安土城はじめ多くの城郭の石垣を築いたのだとか。
私達が丹波で見た城の石垣も、彼らが築いたのかな?
この辺りは、厳しい延暦寺山上での修行が困難になった老僧などが、隠居保養するために天台座主(ざす 天台宗の最高位僧侶)から賜った「里坊」が多い地域。石垣も、この里坊造成のために築かれました。
穴太衆の石垣は、山から流れ落ちる清水や美しい白壁と共に、独特の風情ある坂本の町並みを作り出しています。
司馬遼太郎さんが食べたかった鶴喜そば
そろそろ昼食も食べたいねと思いながら歩いていると、大きなそば屋が見えてきました。
「鶴喜そば」というお店です。比叡山延暦寺御用達。
いかにも老舗らしい佇まい。300年あまりを経た店のようです。
天ざるそば(現在は税抜1,630円)をおいしくいただきました。
後で知ったのですが、『街道をゆく 叡山の諸道』で、司馬遼太郎さんがこの「鶴喜そば」に行きたかったのに、間違えて別のそば屋さんに行ったのだとか。
昔から有名な店だったんですね!
坂本城址公園の明智光秀像は、ひと味違う!
坂本には、明智光秀の菩提寺・西教寺もありますが、それについてはこちらのブログをご覧ください。
明智光秀ゆかりの地として、忘れてはいけないのが坂本城。
現在は城は跡形もなく、城址公園になっています。
鶴喜そばのある一帯からは距離があるので、JR比叡山坂本駅から、江若バスを利用しました。石川町が最寄りのバス停。
私達のイメージとはちょっと(大分?)違う、明智光秀増がお出迎えです。
なんとなく、埴輪の武人を連想してしまいました。
幻の坂本城は『直虎』の気賀城もびっくりの水城だった?
今は無き坂本城は、明智光秀によって築かれた城です。
比叡山焼き討ち後、信長は光秀に坂本のある滋賀郡の支配と、坂本城の築城を命じました。
比叡山延暦寺の監視と、琵琶湖の制海権を獲得して、反信長勢力を打倒するためでした。
信長の家臣として初めて城を持つことを許されたのは、古くからの家柄の良い重臣・柴田勝家や佐久間信盛でもなく、才覚を駆使して重用された秀吉でもなく、つい最近召し抱えられた中途入社の明智光秀。
そして彼が築いた坂本城は、光秀に対してかなり辛口批評のイエズス会宣教師・ルイス=フロイスも「安土城に次ぐ有名な城」と、かなり褒めています。
城内には琵琶湖の水が引き入れており、城内から直接船に乗り込み、そのまま安土城に向かえたそうです。
もちろん城の門から兵士を出撃させることもでき、いわば「水陸両用の城」!
ふと、『おんな城主直虎』で描かれていた気賀(けが)の城を思い出しました。
今は城跡も琵琶湖に沈み、時折石垣が姿を見せることがあるとか。
本丸跡はキーエンスの研修所敷地内になっていて、普段は立ち入れないようですが、2021年2月7日までは特別に入場することができるそうです。
詳しくはこちらを御覧ください。
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で、気賀城やモン・サン・ミシェルのような、堂々とした水城・坂本城のセットが見たかったな。
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