史跡公園になっている永福寺跡
2021年3月初旬、鎌倉を訪れました。今回の旅の目的は、『鎌倉殿の13人』に登場する北条氏や鎌倉幕府に関係する場所に行ってみること。
今日も鎌倉駅から徒歩移動し、最初の目的地、永福寺(ようふくじ)跡を目指すことにしました。
筋替橋や文覚上人屋敷跡、銭取場跡などを通り過ぎ
やっと永福寺跡に到着。私たちはあちこち寄り道していたので、1時間近くかかってしまいましたが、もし鎌倉駅からまっすぐ向かったら、30分程で着きます。
ここは史跡公園になっていて、展望台からは、池や建物の基壇などを見ることができました。
鎌倉時代の靖国神社&御霊神社だった永福寺
この寺院は、源頼朝によって1192年に創建されました。
着工が始まった1189年には、頼朝による奥州討伐が行われ、源義経や奥州藤原氏が滅んでいます。
源頼朝は今までの戦争で亡くなった数多の英霊や怨霊を鎮め、その冥福を祈るための寺院として永福寺を創建したのです。
今の靖国神社(英霊を祀る)、京都などに多い御霊(ごりょう)神社(怨霊を祀って鎮める)のようなものが、鎌倉にもあったのですね。
平家一門や自分以外の源氏一族(源義経、範頼、木曽義仲とその子義高、源行家、武田信義の子である一条忠頼など)、奥州藤原氏、上総広常など、多くの人々を殺してきた源頼朝でも(だからこそ)、このような寺院が必要だったのでしょう。
そのモデルとなったのは、奥州藤原氏のもとで栄えた平泉(岩手県)の無量光院。
無量光院は今は土塁や礎石、池の跡を残すだけですが、昔は宇治の平等院鳳凰堂を模して造られ、平等院鳳凰堂よりも大規模な寺院だったそうです。
平泉には無量光院の他にも中尊寺や毛越寺など、この世に極楽浄土を現出させようとする絢爛豪華な寺院が多数あったので、きっと頼朝の心に深い印象を残したことでしょう。
鎌倉の永福寺も池を中心とする浄土庭園の西岸に、二階建ての仏堂(二階大堂)、阿弥陀堂、薬師堂が配置されています。「西方浄土」をイメージしたのでしょうか。
基壇もなかなか立派でした。上は阿弥陀堂の木製基壇。薬師堂もほぼ同じ規模のようです。木製の基壇は全国的にも極めて珍しいのだとか。
中心の二階大堂基壇。大きさは正面約19.4m、奥行約17.6mほどあったそうです。現在のこの辺りの地名「二階堂」の語源ともなりました。地元の人々にも、大きな印象を与えた仏堂だったのでしょう。
本尊は釈迦如来だったと考えられています。
寺院で酒宴を楽しんだ2代目鎌倉殿・源頼家
浄土式庭園には、池は欠かせません。永福寺跡にも、大きな池がありました。
池の水面に映る華麗な仏堂群は、この世の極楽浄土を現出させる効果がありました。
池には釣殿も設けられていたようで、下の写真は釣殿の遺構です。
貴族の住居である寝殿造りに欠かせない釣殿が、この遺構にもありました。釣殿は遊宴のための建物なので、寺院建築に付属されているのは大変珍しいのだとか。
2代将軍となった源頼家は、この釣殿で酒宴を行ったと『吾妻鏡』に書かれているそうです。
酒宴や女遊び、そして蹴鞠が大好きと伝わる源頼家ですが、『鎌倉殿の13人』ではどのように描かれるのでしょうか。楽しみです(ちなみに昔の『草燃える』では、郷ひろみさんが演じておられました)。
幻の大寺院が、AR技術で蘇る!
永福寺跡では、遺構を見ながら昔の映画をしのぶこともできるのですが、最新のAR技術で鎌倉時代の永福寺を見ることもできるとのこと。
鎌倉市のHPによると、湘南工科大学長澤・井上研究室の技術により、鎌倉市と協働作成したスマートフォンアプリ「AR永福寺」を現地で無料公開しているそうです。詳しくはこちらをご覧ください。
湘南工科大学といえば、北条義時の法華堂もAR技術で再現しています。
私達が訪れたときには、このようなモノクロ写真しかなかったのですが
現在ではもっと鮮やかな復元CGを楽しむことができそうです。
現実の永福寺跡に浮かび上がる壮麗な寺院や庭園を、細部までじっくり眺めるのも面白そうですね!
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