2022年11月19日(土)、和歌山市を訪れる機会がありました。
加太の淡嶋神社をまず訪れ、そのあと和歌浦の紀州東照宮と和歌浦天満宮を参拝しました。
レトロな明光商店街がイベントで大賑わい!
和歌浦天満宮からは、和歌浦の名所の1つ・不老橋まで歩いてみました。
途中でとても人通りの多い方向があり、少し寄り道。
人通りの多い原因は、この近くの明光商店街。元々この一帯は「弱浜」(わかのはま)と呼ばれていましたが、聖武天皇が陽が射した景観の美しさから「明光浦」(あかのうら)と改めたとも『続日本紀』に記載され、その名を商店街がつけたようです。
ちょうどこの日、『MEIKOU WANDER STREET』という名のイベントが行われていました。
この商店街も、自宅近所の商店街同様、昔ながらのレトロな昭和風町並みが残っており
シャッター街の原因となる空き店舗などに悩まされているようなのですが
空き店舗や空き地などに、この日は飲食店や体験型イベントなど素敵なお店が大集合!
当日はスタンプラリーも開催され、景品にはイベント内通貨「ワンダ」や地元店舗の商品をゲットすることができるとあって、地元の人たちもたくさん来られているようでした。
スタンプラリーには、先ほど訪れた紀州東照宮や和歌浦天満宮も含まれていました。そういえば、社務所で御朱印ではないスタンプをもらっている人たちをちらほら見かけたのですが、こういうことだったとは!
でも、もう一度あの急な石段を上るのはちょっと勘弁。
というわけでスタンプラリーには挑戦せず、お店を眺めるだけで不老橋方面へ向かったのですが、なかなか面白そうな取り組みだなと思いました。
自宅の近所の商店街も、何とか活性化しないかな。
肥後の石工が造った不老橋
思わぬ寄り道をしましたが、ぶらぶら周辺を散策しながら、目的地の不老橋にたどり着きました。
不老橋は、徳川家康を祀る東照宮の祭礼である和歌祭の時に、徳川家や東照宮関係の人々が御旅所に向かうために通行した「お成り道」に架けられたものです。和歌浦のシンボルにもなっている橋なのだとか。
着工は意外に新しく、1850(嘉永3年)で翌年完成。この美しいアーチ型の橋は、肥後の石工集団によって造られました。
肥後の石工と言えば、見事なアーチ式石橋を作る技術をもった当時のハイテク・プロジェクト集団。橋自体は小さいのですが、なかなか美しい姿です。
橋の勾欄(こうらん 手すり)部分には、雲の文様が彫られていますね。
江戸時代のアーチ型石橋は九州以外では大変珍しく、特に勾欄部分の彫刻が優れているのだとか。
ちなみに不老橋という名前ですが、この近くにある玉津姫神社の祭神で、絶世の美人として知られる衣通姫命(そとおりひめのみこと)を詠った平安時代の和歌「年ふれど老いもせずして和歌の浦に幾代になりぬ玉津島姫」に因んだものだそうです。
渡ると年を取らない=アンチエイジングに効果ある橋 ではなかったのですね!
その玉津姫神社も、昔から和歌浦の絶景の構成要素になっているそうで、遠くからは見たのですが、今回は立ち寄れませんでした。またいつか機会があったら(そしていい天気の日に)行ってみたいな。
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