冬の高岡 観光名所と食べ歩き3  12月でも紅葉が美しい高岡城址と射水神社 

スポンサーリンク



2022年12月4日(日)、富山県の高岡市を訪れました。

前田利長によって築かれた高岡城 わずか6年で廃城に!

高岡大仏に参拝し、amida coffeeで大仏を見ながらコーヒータイムを楽しんだ後は

冬の高岡 観光名所と食べ歩き2  高岡大仏の隣にあるamida coffeeでおしゃれなひととき

2023年1月7日

冬の高岡 観光名所と食べ歩き1  日本三大大仏の1つ・地元産業技術の粋を集めた高岡大仏

2023年1月6日

大仏の近くにあった高岡城址に向かいました。

高岡城は加賀藩の初代藩主・前田利長(前田利家の子)によって築かれた城です。

彼は1605年に隠居して富山城を居城としていましたが、1609年、城下町から火災が発生。富山城も焼けてしまいます。

そのため幕府に報告し、この地に築城許可をもらいました。1614年に亡くなるまで、利長はこの城を居城としています。

しかしその翌年(1615年)に豊臣家が滅亡し、幕府が一国一城令を出すと、高岡城は廃城となりました。

城としての命は短かったですが、その後も加賀藩によって米蔵や火薬蔵などは置かれ、軍事拠点としての性格はひそかに維持されたのだとか。幕府ににらまれやすい外様の大藩だからこその苦心ですね。

今では高岡城址公園として、市民の憩いの場ともなっています。

日本城郭協会により、富山県で唯一「日本百名城」にも選ばれたそうです。

本丸広場北側にある、独特の銀鯰尾(ぎんなまずお)兜をかぶった前田利長の騎馬像や

高岡市立博物館にも近い大手口にある、城の縄張り(設計)を担当したとされるキリシタン大名・高山右近(秀吉によって領地没収されたけれど、前田家の客将として小田原攻めにも参戦)の銅像は見つけたけれど

御城印は、もらえる場所がわからなくて断念! 後で調べると、城址公園北東部の三の丸茶屋でもらえたそうです。御城印が欲しい人は注意してくださいね。

御城印はもらいそびれましたが、紅葉がまだ残っている城址公園は、

雨に濡れてしっとりしていて、

とても風情がありました。

越中国一宮(の1つ)・射水神社

高岡大仏から城址公園を歩いていくと、本丸公園に行くまでに

射水(いみず)神社という大きな神社がありました。

昔は二上山(ふたかみやま)で二上山の神(二上山大権現)を祀っていたようですが、明治の神仏分離令で祭神は天照大神の孫で地上に降り立ったニニギノミコトとされ、やがて今の場所に移転したのだそう。

ともあれ歴史ある神社のようで、この日は特に祭事があるわけではなかったのですが

多くの参拝客でにぎわっていました。

越中総鎮守一宮となっていますが、越中国では同じ高岡市にある気多(けた)神社、南砺(なんと)市にある高瀬神社、立山町にある雄山(おやま)神社という3社も一宮を名乗っているので、一宮が全部で4社あることになります。

特に射水神社と気多神社との争いは、古くからあるのだとか。

御朱印(500円)を頂きました。2022年ももうすぐ終わるということで、今年の干支である虎の後ろから、来年の干支のウサギ(しかもピンク!)がちょこっと覗いているデザインが、とてもかわいいなと思いました。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です