2023年1月1日(日)、長崎の諏訪神社で初詣の後、亀山社中記念館から眼鏡橋を散策し、新地中華街で食べ歩きをした私たちは
長崎の異国情緒を味わえる外国人居留地跡を訪ねました。
昔の税関・湊会所跡
新地中華街から東山手までは
徒歩でゆっくり歩いても10分以内。
最初に見えてきたのはこの石碑でした。この東山手地区から大浦地区までが外国人居留地で、治外法権区域です。洋風の建物で町が形成され、事務所の他にホテル、教会、劇場やバーなどもあり、多くの外国人で賑わってました。
そして日本にとって大切な施設もあったのです。それが湊会所(みなとかいしょ)跡。幕末の開港によって、新たに貿易や外交を行う国々(米英露仏)に関する事務作業を行った場所で、現在の長崎税関の前身にあたる施設でした。
異国情緒漂うオランダ坂通りとミッションスクール
会所跡を過ぎると、オランダ坂が始まります。
この辺りには、オランダ人の家がきっとたくさんあったのだろうと思いがちですが、実は長崎の人々は、アジア系以外の外国人はすべて「オランダさん」と呼んでいました。
東山手の坂道も、欧米人が通るので「オランダさんの坂」と呼ばれていました。
この辺りは、活水(かっすい)女学校としてスタートしたミッションスクール・活水女子大学のキャンパスとなっていますが、この学校は明治に東山手の宣教師館で、生徒1名からスタートしたそうです。
ロシアやアメリカの領事館としても利用された東山手十二番館。ラッセル女史らによって創設された活水女学院など、旧居留地に開校した私学の歴史資料館となっています(ラッセル記念館)。当時の姿をそのままとどめている貴重な建築。
美しい坂道を登って右に曲がると
英国聖公会会堂跡の石碑。日本初の英国国教会の教会跡で、プロテスタントの教会としても日本初の教会でした。この教会は外国人専用で、礼拝に参加するため、多くの外国人がオランダ坂を登りました。あのトーマス・グラバーも教会管理人の1人でした。
敷地の一部は、こちらもミッションスクール・海星中学校・高等学校の敷地の一部となっていました。
大浦居留地からの眺めは面白い!
この辺りもオランダ坂通りです。
右手の建物は昭和会病院ですが、この辺りは昔、大浦居留地と呼ばれていた場所。
この場所から完成間近の大浦天主堂を写した幕末の写真。手前の細長い建物は、現在は昭和会病院になっています。
ここからの現在の眺めは、孔子廟と大浦天主堂が見えるという、なかなか国際的なもの。
向こうの山腹に沿って伸びる長い斜行エレベーターは、グラバースカイロード。一般市民も観光客も利用できる交通手段です。
その横に建つ立派な建物は、南山手乙27番館という名で、グラバー園に隣接する外国人居留地(南山手地区)に建てられた住宅。現在は南山手レストハウスとして一般公開され、居留地時代の資料展示も行っているそうです。
さらに進んでいくと、またまた洋館! 東山手洋風住宅群と呼ばれ、7棟の洋風住宅群が社宅や賃貸住宅として建てられました。
洋風住宅群の間から、孔子廟がよく見えます。
この辺りは「大浦オランダ坂」と呼ばれています。郵便配達のバイクがとても苦労しながら坂を上っていきました。今日は晴れていたからよかったものの、雪なんか降ったら本当に歩くのも危ないだろうなと思いました。
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