2023年2月25日(土)、兵庫県南西部にある相生(あいおい)市を訪れました。
道の駅あいおい白龍城を見学した後は、相生とれとれ市場で牡蠣を食べるべく、またまた徒歩移動。
歩いた道は「はりまシーサイドロード」という海沿いの一本道で、興味深いものがたくさんありました。今回はそのうち2つをご紹介します。
相生市出身の大物政治家・河本敏夫の銅像
まずは白龍城の駐車場に建つこの銅像。
グーグルマップにも載っている「河本敏夫先生之像」です。
地元相生市(当時はまだ「相生村」)出身の自民党有力議員で、通産大臣や郵政大臣に就任するなど活躍しました。
日本大学在学中に、「三光汽船」を設立して社長になり(ビジネスの才能があったんですね!)政界にも進出しましたが、1985年に三光汽船が倒産すると(「戦後最大の倒産」としてマスコミに騒がれたらしい)総裁選への出馬を断念。
山陽新幹線がなぜ相生駅に停車するのか?(人口は西隣の赤穂市の方が断然多く、岡山駅と姫路駅の間も滅茶苦茶長いというわけではない)という疑問への回答として、地元出身の有力政治家・河本敏夫の働きかけがあったという話が伝わっているようですが実はそうではなく、当時国鉄が計画していた「単線での夜行新幹線計画」のために相生駅を造る必要があったのだとか。
2001年に亡くなった彼は相生名誉市民でもあり、没後2年目に銅像が建てられました。生前「笑わん殿下」と呼ばれていた通り、微笑はしていません。
金文字の「河本敏夫先生之像」を揮毫(きごう 著名人が毛筆で書く)したのは、当時の総理大臣・小泉純一郎。ちなみに2人は同じ派閥ではなかったようです。
「政治家は1本のローソクたるべし」というのは河本敏夫の座右の銘で、身を削って自らを燃やしながらも、世の中の隅々まで明るく照らし、よりよい社会をつくらねばならないという意味だそう。なかなか難しく崇高な理想だけれど、今の政治家は、その志を持っているかな?
難読地名・箆島跡石碑と幻の「蝦江十二景」
相生大橋を渡ると、目の前にこんもりした森のような一画が現れます。
何やら石碑があって、謎めいた雰囲気。何かの跡らしいとは読めるのですが、漢字が難しすぎて読めません。
後日撮影した写真を拡大し、PCの「IMEパレット」の助けも借りて、何とかこの石碑の文字が「箆島(のしま)跡」であると判明。
石碑には「蝦江十二景 篠島驟雨」の文字や、「磯山に なお日の照りて篠島の しのをみだして夕立の降る」という和歌が刻まれていることも判読できました。
調べてみると、「蝦江(かこう)」とは蝦(えび)の形に似ていた相生湾の別名で、
江戸時代から「蝦江十二景」とされる美しい風景が選ばれ、その1つが「篠島驟雨(しのしましゅうう)」。驟雨とは、急に降りだすにわか雨のことです。和歌も急なにわか雨(しかも別の場所は晴れている)を詠んでいますね。
箆島(のしま)は、この辺りの埋め立てにより今ではすっかり陸地の一部になってしまいましたが、昔は竹島とも呼ばれ、れっきとした相生湾に浮かぶ島でした。
神功皇后がこの島の竹で矢を作らせたという伝承もあるそうです。箆島の「箆」にはヘラや竹という意味もあるので、もしかしたらこの地には「篠島」という別名もあったのかもしれません。
今はグーグルマップを見ても「箆島」の地名はなく、「蝦江十二景」についても資料がなくて、詳しいことはわからずじまい。
この石碑も高い場所に建っていて、あまり時間に余裕もないのでじっくり調べることができず、裏面に何か書かれているのかいないのか、いつの建立なのかも含め、相生市立歴史民俗資料館の公式HPを見てもわからずじまい。永遠の謎のまま。
それにしても旧字体は難しい! いい勉強になりました。
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