鬼ノ城北西の山岳寺院・岩屋寺跡  鬼の差し上げ岩など、巨岩がいっぱい!

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2023年3月4日(土)、岡山市を出発し、総社市にある「鬼ノ城(きのじょう)」を訪れました。

教科書に載っていない謎の古代山城「鬼ノ城」(後編) 屏風岩石垣から北門経由で岩屋方面へ

2023年3月18日

教科書に載っていない謎の古代山城「鬼ノ城」(前編) ビジターセンターから城壁を巡ろう

2023年3月17日

山岳仏教の聖地・岩屋寺跡

鬼ノ城北門から約3km。急坂を頑張って降りて、岩屋寺の休憩所にたどり着いた私たち。

一休みした後、まず岩屋寺へ。

最初に出会った、地神の祠。土地の神様かな?

石段を登っていくと建物がありましたが、どうやら無人のお寺みたい。平安時代には、山岳仏教の聖地として栄えていたようです。

更に進むと。岩屋寺毘沙門堂。ここも無人でした。

自然の造形の不思議 鬼の差し上げ岩

そしてこの近くに、面白い形の岩がありました。下の写真の天井部分にあたる岩は「鬼の差し上げ岩」という名前で、

桃太郎伝説の鬼・温羅(うら)が巨大な岩を差し上げて岩窟を造り、ここを住処にしたという伝説があるのです。

別の方向から見てみると、さらに迫力!

岩の大きさは、およそ縦15m、横5m、厚さ5mで、岩の左側にある窪みは差し上げた時にできたと言われ、「鬼の手形」と呼ばれています。

差し上げ岩の下に建物があったので、行ってみると

不動明王(岩に彫られている)が祀られていました。

内部から外を見ると、こんな感じ。ふと、4年前に訪れた琉球王国の聖地・斎場御嶽(せーふぁうたき)を思い出しました。

琉球王国最高の聖地・斎場御嶽2 聖水の壺~三庫理・チョウノハナ~ウローカー 

2019年3月3日

この場所も、母の胎内を思い起こさせる場所だったのでしょうか。

パワースポットとして人気なのもよくわかりました。古代の人々も、畏敬の念でこの風景を見ていたのでしょうね。

次々に現れる巨岩 鯉岩は見つけられず

更に歩いて行くと、さらに多くの巨岩に出会いました。

鬼の餅つき岩。真ん中の少しくぼんだ所で、鬼が餅つきをしたのかな? 命名の由来が謎。

少し木が邪魔だけれど、ここもなかなか景色がよかったです。

ここを過ぎると鯉岩という巨岩もあるのですが、どうしてもそれらしき岩を見つけることができませんでした。

でも八畳岩は見つけました。

こちらは屏風岩。これらの巨岩は花崗岩で、長い年月をかけて風化し、硬い岩盤層がむき出しになったためなのだとか。

山岳仏教の痕跡と「皇の墓」

巨岩や奇岩が多い岩屋寺周辺には、

石仏の姿がよく見られました。

標高465mと一番高い場所にあったのは、馬頭観音像(右)。

観音菩薩の頭上に、馬が彫られているのがわかりますね。

そしてコースの最後にあったのが、「皇(おう)の墓」。広い場所にポツンと1つ、石塔がありました。

岩屋寺の開祖で文武天皇(聖武天皇の父)の子として生まれた善通大師の墓とされていますが、詳しいことはわかりません。

ここにも石仏が佇んでおり

しばらく歩くと、墓地が現れました。岩屋寺で修業した僧侶たちの墓でしょうか。

番外編:鬼の釜

岩屋寺から鬼ノ城へ戻り、最寄り駅のJR服部駅まで

7.8kmの道のりを歩いていると(下りで楽なはずなのですが、かなり時間がかかり大変でした!)

鬼ノ城を過ぎたあたりで、こんなに大きな釜が!

「鬼の釜」と呼ばれ、温羅が使っていたという伝説もあります。

鎌倉時代に東大寺再建などで活躍した重源(ちょうげん)上人が、この地を訪れて浄土堂を修理し、阿弥陀仏を安置したと伝わっているので、もしかしたら彼が人々のために湯屋を造り、その湯を沸かすために巨大な釜を造ったのではという説も。

恐ろしい鬼が使ったという釜が、実は人々のために使われていたというのも(真実なら)面白いですね! それにしても、岡山には温羅にまつわる伝承が多いです。人々に愛されていたのかもしれませんね。

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