2023年3月5日(日)、岡山の旅2日目はまず岡山後楽園を見学し、岡山城へ向かった後、昼食を摂る店を探しがてら岡山市内を散策しました。
旧岡山城跡
岡山城や岡山後楽園のそばを流れる旭川。岡山後楽園に隣接する貸しボート乗り場には、普通のボートやスワンボートと並んで
桃ボートも! ほかのデザインのボートよりも人気のようで、考案した人は頭がいいなと思いました。
この旭川沿いにしばらく行くと、「旧岡山城跡」の石碑を発見!
ここは元々「石山の城」と呼ばれ、旭川河口の湊町として繁栄していたようです。
この近くに、この日ランチで利用しようと思っていた「MARU」というレストランがあったのですが
残念ながら、この日は休業日のようでした。残念!
表町商店街からオランダ通りへ オランダ通りの語源を探る
仕方がないので、昼食を摂れる店を探して、岡山の中心街を歩くことになりました。
最初に訪れたのは、
アーケードが立派で、かなり長い距離のある表町商店街。
そしてその1つ東側の通りが、オランダ通り。行列のできるレストランも何軒かあり、人気のスポットみたい。
この不思議な街の名前の由来が謎だったのですが、調べてみると、なかなか深い歴史がありました。
江戸時代後期、オランダの長崎出島商館に勤務していたドイツ人医師シーボルトの娘(母は長崎丸山の遊女・滝)である楠本イネ(通称「オランダおいね」)が、この辺りに住んでいたのです。彼女は「日本初の女性産科医」としても有名ですね。
彼女はここで産科の技術を学ぶため、シーボルトの弟子であった医師の石井宗謙(いしいそうけん)に弟子入りしています。
イネはどこに住んでいたのかな? 何か石碑などがあれば見つけていたかもしれませんが、残念ながら気が付きませんでした。
楠本イネと高子 母子2人を襲った悲劇
楠本イネは岡山で7年間産科の修行をしましたが、こともあろうに師の石井宗謙に強姦され、未婚のまま女児を出産。
彼女は石井宗謙を激しく憎み、石井宗謙もまた、「師であるシーボルトの娘に手を付けた」として、シーボルト時代の同窓生たちから破門同然の扱いを受けたそうです(当然!)
その娘である楠本高子(最初は天からただで授かった子として「タダ子」と名付けられた)は、イネの母・滝に長崎で育てられます。最初の夫と死別後、母のイネ同様に産科を学んでいるとき、他の医師に強姦され、男児を出産することになりました。そして医師の道を断念します。本当にひどい話です。
高子が生んだ男児は、生涯独身を通して産科医として活躍したイネの養子となって医師となり、高子は後に彼女に求婚した医師と再婚。夫と死別した後は、母のイネとともに、来日した考古学者のハインリヒ=フォン=シーボルト(イネの異母弟)の世話になり、芸事の教授もしていたそうです。
メーテルのモデル・楠本高子
この楠本高子のことは、私は全く知らなかったのですが、たまたま岡山からの帰途、JRの車内で読んでいたこの日の山陽新聞朝刊に載っていた、松本零士さん逝去を悼む読者からの投書の中に、『銀河鉄道999』のヒロインである絶世の美女メーテルのモデルが
楠本高子であり、岡山ととても縁があると書かれていました(実際にはメーテルを描いた後に、松本零士さんは彼女の写真を見て、「この女性こそ、自分がずっと思い描いていた女性だ!」と衝撃を受けたそう)。
この投書がきっかけとなり、楠本高子って誰? と調べてみて、オランダ通りと楠本イネ・高子母子のことを知りました。
イネのことは司馬遼太郎の『花神』のヒロインだったので少し知っていたのですが、娘の高子のことは初めて知ってびっくり。
『ウィキペディア』にあった楠本高子の写真は確かに美しく、
切れ長の目がメーテルのよう。
シーボルトに愛され、空色の紫陽花にその名(「Hydrangea otaksa」ハイドランゼア オタクサ)を遺す楠本滝(お滝さん)、日本初の産科医・楠本イネ、そしてメーテルのような美女・楠本高子。シーボルトに関わった楠本家3代の女性たちは、皆、とても美しくて魅力的。それ故に波乱万丈の人生を送ったのでしょうか。
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