絶景仏ヶ浦!(後編) 仏ヶ浦を有名にした大町桂月とは? 上陸時間30分ぎりぎりまで見学すべき?

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2023年5月5日(金)、「仏ヶ浦海上観光」の高速観光船で仏ヶ浦に上陸し、絶景を堪能することができました。

絶景仏ヶ浦!(前編) 火山活動が生んだ不思議な巨岩の数々 全景は観光船からしか見えない!

2023年6月20日

如来の首から蓬莱山へ

天龍岩をさらに進んでいくと、「如来の首」と呼ばれる不思議な形の石が見えました。

台湾の野柳地質公園や、エジプトの白砂漠にも、似たような形の岩があったような気がします。ちなみに下北ジオパークは、台湾の野柳地質公園と連携協力協定を結んでいるのだとか。

蓮華岩?高爐(こうろ)岩? 名前が判定できない小さな岩も(でも造形はすごい)。

足場の悪い磯のような場所を歩くと、仏ヶ浦海岸の南側にそびえる蓬莱山が目の前に。この向こうには「極楽浜」と呼ばれる場所があるのですが、見学の残り時間と足場の悪さを考えて、ここで引き返すことに。

巨岩の隙間には、小さな祠がありました。何をお祀りしているのかな?

仏ヶ浦を紹介した歌人・大町桂月

仏ヶ浦散策エリアの中央には、明治~大正時代に活躍した大町桂月の歌碑がありました。「神のわざ 鬼の手づくり仏宇陀(仏ヶ浦) 人の世ならぬ処なりけり」という歌が刻まれています。

旅を愛した彼は1922(大正11)年に仏ヶ浦を訪れ、当時は地元の人々しか知らなかった仏ヶ浦の絶景に感動し、和歌で広く仏ヶ浦を紹介しました。これ以後仏ヶ浦は、広く世間に知られるようになったのだとか。

ただ彼は、与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』の詩について、雑誌『太陽』で「晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と非難しています。そのためもあって現在では、彼の評価はあまり高くないのだとか。

恐山にも彼の歌碑はありました。当時ベストセラー作家だった彼が紹介すると、注目度もアップしたでしょう。十和田湖や奥入瀬を特に愛したそうなので(両方ともまだ行ったことがないけど)、これからもまた、彼の歌碑を目にすることもあるでしょう。

船の景色は諦め、出航時間ぎりぎりまで仏ヶ浦を堪能

景色を堪能したり、写真を撮ったり(これが意外と時間がかかる)しているうちに、あっという間に出航時間。

急いで桟橋を目指します。

でも屏風岩の眺めが、足を止めてしまいます。頂上はこんな感じなのですね。崖の上からは、どんな感じに見えるのでしょうか。

気を取り直して、船へと急ぎます。何とかギリギリ、出航時間に間に合いましたが、

進行方向に向かって右側の景色のいい席(往路の反対側)の空席はなく、復路も海しか見えないポジション。

でも構図さえ気にしなければ、桟橋からターンするときに「五百羅漢」と呼ばれる奇岩は見ることができました。

私たちは船からの景色は諦めていましたが、もし復路の絶景を観光船から見たい!という希望があれば、ぜひ出港時間よりも早めに船に乗って、希望の席を確保してくださいね!

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