『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・神戸2  幻の「日本初の植物標本陳列所」

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日本初の「植物標本陳列所」を設立したい!

NHK連続テレビ小説『らんまん』もそろそろ大詰め。

主人公のモデルとなった高知県出身の植物学者・牧野富太郎のゆかりの地・高知県を昨年訪れる機会があったのですが

『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・高知市3 高知県立牧野植物園(後編)

2023年4月11日

『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・高知市2 高知県立牧野植物園(中編)

2023年4月10日

『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・高知市1 高知県立牧野植物園(前編)

2023年4月9日

『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・高知県佐川町2 牧野富太郎ふるさと館

2023年4月5日

『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・高知県佐川町1 名教館

2023年4月4日

今年の春も、ゆかりの地をいくつか訪れる機会がありました。

『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・神戸1  会下山の植物研究所跡へ

2023年9月18日

『らんまん』主人公モデル牧野富太郎ゆかりの地・小石川植物園  今は標本館が大ピンチ!

2023年9月17日

前回ご紹介したのは、神戸市兵庫区の会下山(えげやま)。

京大法学部に在学中だった若き資産家・池長 孟(いけなが はじめ)が、30歳も年上の植物学者・牧野富太郎のために設立した植物研究所(池長植物研究所)跡がある場所です。最初池長は、「牧野植物研究所」という名前を考えていましたが、富太郎が固辞し、結局「池長植物研究所」となりました。

この石碑の近くに、池長植物研究所開設式典の写真も紹介されていました。前列中央に和装の池長 孟、その左隣に洋装の牧野富太郎がいますね。そうそうたる参列者の集合写真です。

研究所の建物として使われたのは、正元館という、義父(叔父)に譲られた元・兵庫尋常高等小学校の2階建て講堂。

池長はここに、日本初の「植物標本陳列所」(植物標本博物館)を開設し、一般市民にも広く開放しようと計画していました。貴重な標本を美しく陳列し、一般市民に植物学(さらには科学全般)に対する興味や関心を広めていきたいという願いもあったのでしょう。

標本の整理が追い付かない!

しかし池長の計画は、実現困難なものでした。

富太郎は定期的に神戸に通って研究し、東京から膨大な標本も送られましたが、やがて富太郎は神戸や関西での採集旅行に精力的に出かけ、標本は整理されずに増えるばかり。

私なら「バイトを雇ったら」と考えてしまうのですが、標本の仕上げについて富太郎はとても拘りがあり、自分でないと美しい標本は作れないと思っていました。だからなかなか、標本整理ははかどりません。

当時の富太郎は、マスコミにも取り上げられる有名人で、彼が神戸に来ると、多くの植物学ファンや地元の名士などから講演会や採集旅行の依頼が来ます。彼はそういう誘いをあまり断らなかったので、標本整理に充てる時間はなくなるばかり。

気が付けば、植物研究所内部はこのような状態に(写真の出典は『牧野富太郎と神戸』白岩卓己 のじぎく文庫)。整理が追い付かない標本を前に、呆然と佇む?牧野富太郎です。池長の望む一般市民も見学できる「植物標本陳列所」とは、似ても似つかない姿でした。

植物標本陳列は諦め、南蛮美術の美術館を開設  教科書に載る名画も収蔵!

池長家の養子であり当主でもあった彼は、一族や世間への手前、この研究所の失敗が大きな心労となり、妻の病死も重なって、逃げるように陸軍に入隊。その後、南蛮美術に魅せられた池長は植物標本陳列所を諦め、標本を富太郎に返却し(一時は京大に寄贈する話もあって、富太郎ともめたそうです)

南蛮美術コレクションを「池長美術館」として一般公開。写真は1940(昭和15)年に池長美術館を訪れた牧野富太郎(右)と池長です(出典は『牧野富太郎と神戸』白岩卓己 のじぎく文庫)。

この「池長美術館」には、教科書でおなじみの「フランシスコ・ザビエル像」(大正時代に大阪府茨木市で発見されたものを池長が購入)や「南蛮屏風」も収蔵されていました(現在これらは神戸市立博物館に収蔵)。池長や収蔵品について、もっと詳しく知りたい方はこちらをご覧くださいね。

植物研究所跡一帯は「会下山小公園」と呼ばれています。桜の名所として有名で、この時も桜が美しく咲いていました。植物標本陳列所は幻に終わったけれど、そのかわりに美しい桜の花、そして貴重な南蛮美術コレクションが散逸せずに残ってよかったと思いました。

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