2024年1月27日(土)、京都に行く機会があったので、NHK大河ドラマ『光る君へ』の主要舞台の1つである、平安時代の御所の跡を探してみました。
偶然目撃した発掘現場
前回ご紹介した大極殿(だいごくでん)は、
元々は天皇の公的な空間でもありました。天皇は毎日、御所である内裏(だいり)から、官庁街の中心である正庁・朝堂院に移動して、朝堂で政務を見たり、時には大極殿で重要儀式を行ったりしていたのです。
ところが平安時代になると、だんだんと政治の中心は、内裏の正殿である紫宸殿(ししんでん)に移ります。紫宸殿の中の「左近陣座(さこんのじんのざ)」で、公卿(くぎょう)と呼ばれる20人前後の上級貴族たちが、会議によって国の政治を行うようになりました。藤原道長もその会議の議長として、話し合いで政治を進めていたのです。
大極殿から内裏は北東の方角。千本通りを北上していると、工事現場に遭遇したのですが
よく見ると、こんな注意書き! 初めて見ました。覗いてみたけれど金網が邪魔でよく見えなくて、何の遺跡なのかはわかりませんでした。
土を掘ると、絶対何か出てきそうな京都の街ですが、平安時代の御所か役所の遺構が見つかるのでしょうか。何が出てくるか、楽しみですね。
紫宸殿はどこにある?
紫宸殿は、いわば摂関政治時代の内閣があった場所なのだから、大極殿とまではいかなくても、きっと石碑位は建っているだろうと思っていたのですが、
グーグルマップを見ると、「紫宸殿跡 案内プレート」としか書いてない。どうやら石碑はないようです。しかも場所がわかりにくい! 道から外れている奥まった場所にあるように見えるので、駐車場や行き止まりの路地の奥を、何か所も探し回りました。もし防犯カメラが作動していたら、きっと不審者としてチェックされていたでしょう。
ようやく夫が見つけてくれたのが、この案内板。
夫が、この酒屋さんの軒先にあるのを見つけてくれました(2軒の家の境目にある白い板)。今は酒屋さんのようですね(どこか懐かしい店構え)。
この辺りに左近の桜、右近の橘が植えられ、建物の中では公卿たちが会議を行い、会議の結果を天皇に報告するなどしていたのでしょう。『光る君へ』の舞台の1つは、まさにここだったのです。
このすぐ近くには、内裏内郭(内裏には外郭・内郭の二重の壁がある)の南正面の門・承明門(しょうめいもん)や
天皇の秘書官である蔵人(くろうど)が宿所とした蔵人町屋(くろうどまちや)の跡もありました。蔵人町屋の案内板が掲げられていたのは、その名も「マンションクロード」の外壁!
ところで花山天皇の蔵人には、紫式部の父・藤原為時や、藤原道長の次兄・道兼もいました。秘書官長の蔵人頭(くろうどのとう)の藤原実資(ふじわらのさねすけ)は第2話から登場していますね。彼らはここで、宿直勤務を行っていたのでしょうか。
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