三浦按針の墓やフランシスコ・ザビエル記念碑のある崎方公園
2024年2月24日(土)、初めて平戸を訪れた私たちは、昼食後は平戸のまち歩き。昼食を摂った旬鮮館から、平戸港交流広場や歴史の道を歩き、オランダ商館通りでは、蔦屋のカスドースを頂きました。
私たちが訪れた蔦屋の本店「按針の館」は、三浦按針ことウィリアム・アダムス(日本に初めて漂着したオランダ船デ・リーフデ号のイギリス人航海士)終焉の地だったと知り、
彼はきっと平戸に埋葬されたのではないかと調べてみたら、やはり平戸にあったのです。
でも、平戸オランダ商館の裏山のような雰囲気。崎方公園という高台の一画のようです。ちょっと山登りは勘弁してほしいのですが
諦めて山道を登ります。平戸オランダ商館の背後には、1925年に立てられた「日蘭交流記念碑」や
「オランダ公園」という広場があり、さらに登っていくと立派なホテルが見えてきました。
国際観光ホテル旗松亭という、昭和天皇皇后両陛下やオランダ皇太子も宿泊したという、老舗のホテル。目的地はさらにこの上。道標があって一安心です。
まず見えてきたのが、フランシスコ・ザビエル記念碑。1549年に来日した彼は、翌年鹿児島から平戸を訪れ、短期間ながら合計3度平戸を訪ね、キリスト教を布教しました。
記念碑のそばの花壇。この時は水仙がきれいに咲いていました。
三浦按針の墓と夫婦塚
さらに進んで按針坂の石段を上り
やっと目指す三浦按針の墓に到着しました。三浦按針の墓は長年定かではなかったのですが、以前から崎方公園が彼の墓ではないかと考えられており、
1954年に彼の墓が建立されたそう。彼の墓の右にあるのは「夫婦塚」。
イギリスにある彼の妻マリーの墓地から小石(霊魂の象徴)を取り寄せ、彼の墓に合葬して夫婦塚としたものです。
彼が1611年に書いた手紙によると、彼はイギリスに残した妻と2人の子のことをとても気にしており、日本で生きていると伝えたかったようです。
1931年と2017年にこの辺りが発掘調査され、西洋式で埋葬された西ヨーロッパ人の骨が確認されたとか。
近くには、英国から海を渡って平戸に到着し、故郷の土を踏むことなくこの地で亡くなった人たちの霊を慰めるための記念碑もあり
1995年には、当時のイギリス大使が記念植樹したようです。この崎方公園一帯は、ヒラドツツジの名所でもあるのだとか。三浦按針らの魂が、花に囲まれて安らかに眠ってくれればいいですね。
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