今も心に迫る「野ばら」の文学碑
2024年3月23日(土)、新潟県上越市の高田を初めて訪れました。
徳川家康の六男・松平忠輝により築かれた高田城の城下町として発展し、案内板にも葵の御紋が目立ちますが
城址公園近くの市立大手町小学校の前には、やはりこの人が!
「高田市」でなく、春日山や直江津も含む「上越市」になった今は、やはり上杉謙信公がここでも主役かな。
旧陸軍第13師団が設置された高田では、城址公園や大手町小学校の南の道が「司令部通り」と呼ばれ、「軍都」の面影が残ります。大手町小学校の一画には、こんな石碑が立っていました。
旧陸軍関係の石碑かと思ってよく見ると、高田出身の作家・小川未明の童話「野ばら」の文学碑でした。大きな国と小さな国の戦争を描いたこの童話は、1920年に発表されたものですが、昨今の情勢を考えると今でも色褪せない輝きを放っていると思います。今回は訪問できませんでしたが、高田城址公園には小川未明文学館もありました。
雁木の商店街を通って評判の寿司屋へ
豪雪地帯の高田には、雁木(がんぎ)というアーケードがあちこちにあります。
傘を差さずに通れるので、雨や雪の日はありがたい。
特に賑やかな商店街というわけでもない通りにも雁木があって、昔ながらの素朴な雰囲気がとても良かったです。
そんな雁木の道やアーケードを通って、上越市で人気だという「富寿し」の高田駅前店へ。
今日初めての、ちゃんとした食事だったのでとても楽しみ!
私が注文したのは、富御膳(2,178円)。
夫は「寿しざんまい」(1,958円)。朝はおにぎりだけで、春日山登山などかなりハードでお腹もすいていたし、暖かい店内で寒い雨から解放されて、とてもほっとできる時間でした。
瞽女ミュージアム高田
私たちが最後に訪れたのは、「瞽女(ごぜ)ミュージアム高田」。
瞽女というのは、三味線を弾き歌を歌いながら、各地を門付(かどづけ)して歩いた盲目の女性芸人。
古い町屋を改装したミュージアムでは、記録映像資料で高田の瞽女について学び、学芸員の方もとても詳しく解説してくださいました。自宅にない「こたつ」がとても暖かくて、大感激!
2階には、最後の瞽女・杉本キクイさんとその2人の弟子が暮らした家の写真や
実際に使っていた笠や杖など、
貴重な資料がたくさん展示されています。元々は全国に瞽女はいたそうですが、新潟県の長岡と高田の瞽女が、その中でもとくに有名でした。
私はこの映画のタイトルでしか「瞽女」という言葉を知らないのですが、盲学校や福祉などがない時代、盲目の女性が生きていくためには、瞽女か按摩(あんま)になるしかなく、親と別れて師匠の養女となって芸を学び、厳しい掟に従って(男女関係はご法度)集団で旅をしていたのです。瞽女の来訪は、農村地方の大切な娯楽でしたが、テレビの普及などで1964年の秋を最後に、杉本キクイさん達は門付の旅をやめました。
ミュージアムには、齋藤真一さんの描く瞽女の絵も、たくさんありました。写真を撮りそびれたので、倉敷市立美術館のこちらのサイトから、どのような作品かご覧ください。
ミュージアムの近くには、日本最古級の映画館・高田世界館もあります。1911年創業というから、明治44年!
今も現役で活躍している映画館です。福祉が充実し、娯楽も多様化して「瞽女」は歴史から消えてしまったけれど、この映画館はいつまでも残ってほしいものです。
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