糸魚川のフォッサマグナミュージアム見学記(中編) フォッサマグナと日本列島の成り立ち

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フォッサマグナの発見者・ナウマン博士

2024年3月25日(月)、新潟県糸魚川(いといがわ)市のフォッサマグナミュージアムを訪れた私たちは、ヒスイ原石のコレクションやヒスイ再発見の歴史についての展示を見た後

糸魚川のフォッサマグナミュージアム見学記(前編) ヒスイ「再発見」の功労者

2024年5月6日

フォッサマグナと日本列島の成り立ちについての展示を見学しました。そもそも「フォッサマグナ」というのはラテン語で「大きな溝」という意味らしく、本州中央部を縦断する大きな地質構造の違いです。例えば飛騨山脈の大部分は、古生代や中生代という古い地層ですが、昨日訪れた妙高山など、新潟県と長野県境の頚城(くびき)山脈は新生代の地層なのだとか。

この地質構造の異なるライン(断層)が、糸魚川から静岡にまで至るのを発見したのが、お雇い外国人として東京帝国大学地質学教室の初代教授に就任したドイツ人地質学者のナウマンです。

あの「ナウマンゾウ」に名前を残す有名人。日本で最初にゾウの化石を研究したことから、1924年に京都大学教授によって「ナウマンゾウ」という名前(和名)が付けられました。

そのナウマン博士に関する展示もあって、

ドイツ帰国後のナウマン博士と、ドイツ留学中の森林太郎(後の鴎外)との日本についての論争など、知らないことが多くてとても面白かったです。

日本列島の成り立ちとフォッサマグナ

元々日本列島は、アジア大陸の一部だったと学校でも習っていましたが、

やがてアジア大陸の先が裂けはじめ、日本海は湖となり(淡水魚や昆虫の化石が発見されています)

その湖が広がって、日本海ができました。その過程で大陸から離れた日本列島は、中央部が真っ二つに折られる形で、西南日本と東北日本に分かれてしまいました。この裂け目がフォッサマグナとなり、海になった証拠として海水魚の化石が発見されています。その後フォッサマグナの海には砂や泥が堆積し、フィリピン海プレートが伊豆半島を伴って日本列島に接近した時に、真っ二つになっていた列島が圧縮され始めました。この時、間にあった海が徐々に隆起し、現在の地形になったのです。

パネル展示だけでなく、巨大スクリーンでの映像もとても迫力があって、日本列島の成り立ちがよくわかりました。

本当はフォッサマグナを直接見ることができる糸魚川市の「フォッサマグナパーク」にも行ってみたかったのですが(上の写真)、残念ながらこの時は冬季休園中。2024年度は4月20日の開園でした。前々日、上越市の林泉寺を訪れたけれど、上杉謙信の墓所が冬季閉鎖中だったこともあり、

上杉謙信の居城・春日山城への道5  景勝屋敷・三の丸を経て林泉寺へ

2024年4月10日

新潟県を旅行する場合は、観光施設が営業しているかどうか、しっかり調べておくのも大事かなと思いました。

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