九谷焼のふるさとは、山代温泉?
2024年7月13日(土)、山代温泉の旅館・葉渡莉(はとり)に1泊する機会がありました。
翌日はホテルで朝風呂という選択肢もあったのですが、せっかく山代温泉の中心から徒歩5分という宿に泊まったので、中心部にある公衆浴場・古総湯(こそうゆ)と総湯に行ってみることにしました。
まずは古総湯へ。
その途中で見た「九谷焼のふるさと山代温泉」という表示。ちょっと気になります。
調べてみると1655年頃、最初に九谷焼が焼かれた「九谷村」は、山中温泉の近くでした。葉渡莉からは車で30分ほどの距離。しかし50年後、なぜかこの「古九谷(こくたに)」の窯は、突然廃止されたのです。
それから約100年後、加賀地方一帯に多くの窯が開かれ、「再興九谷」が焼かれました。その1つが、吉田屋窯。
現在「九谷焼窯跡展示館」になっている辺りで、九谷焼が焼かれたそうです。京風や有田風を得意とした窯もありましたが、吉田屋窯は、最初の「古九谷風」を得意としたのだとか。地図で見てみると、昨夜訪れた葉渡莉の姉妹館・瑠璃光の近くでした。
昨日私たちは、九谷焼の絵付け体験をすることができたのですが
「九谷焼は加賀市でも焼かれている」くらいの認識で、山中温泉や山代温泉と、こんなに深いつながりがあるとは知りませんでした。残念ながら今回は、「九谷焼窯跡展示館」に行くことはできませんでしたが、再興九谷の登り窯遺跡は、なかなか面白そうだなと思いました。
行ってみたかった「あいうえおの小径」
今回ご縁のなかったものがもう1つ。それが「あいうえおの小径」です。
温泉街の中心に向かう通りにある、大きな地図にも表示されている道で、YouTube動画でも紹介されていました(グーグルマップには載ってないようです)。古総湯の近くにある薬王院温泉寺の、背後の裏山へ上る石段に、五十音が記された九谷焼の陶板が1枚ずつはめ込まれていて、それを全部上ると、日本で最初に五十音図を書いた明覚(みょうがく)上人の供養塔にたどり着くのだとか。
平安時代の後期(院政時代)に、五十音図ができていたとは知りませんでした。五十音図ができた背景も、とても面白いのですが長くなるので、興味のある方はこちらをお読みください。
残念ながら、山代温泉2日目は朝から雨が降り始め、傘をさして裏山に登るのはかなりハードなので、こちらも断念。山代温泉の公式HPには、「九谷焼とあいうえおの郷 山代温泉 加賀温泉郷」というロゴがあるのですが、残念ながら九谷焼もあいうえおも、今回はご縁がなかったのが少し心残りです。
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