三十三間堂は仏像以外も見どころあり!(中編)  秀吉ゆかりの太閤塀と南大門

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豊臣秀吉ゆかりの建築物が、三十三間堂に!

2025年5月22日(木)、京都国立博物館で開催中の特別展『日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―』を見学することができました。

京都国立博物館『日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―』展に行ってみた

2025年5月24日

博物館鑑賞後、京阪七条前の「ラーメンの坊歩(ぼんぼ)七条本店」で昼食を摂った後は

京都国立博物館見学の後は、ラーメンの坊歩七条本店へ  外国人観光客にも人気

2025年5月25日

もう帰るのかと思ったら、夫が、せっかく来たのだから、近くの三十三間堂に行こうと提案しました。11年ぶりの三十三間堂の本堂内部もとても素晴らしかったのですが

11年ぶりの三十三間堂  仏像の素晴らしさはそのままに、随所で進化していた! 

2025年5月26日

本堂外観や境内も、じっくり見てみるとなかなか面白いのです。

三十三間堂は仏像以外も見どころあり!(前編)  後白河法皇の夢の跡

2025年5月27日

少し意外なのが、豊臣秀吉・秀頼父子に関係ある建築物があることでした。

秀吉は、当時交通の要所だったこの場所に目を付け、後白河法皇にあやかろうと思ったのか、奈良の大仏を模した大仏を安置する方広寺を、三十三間堂の北隣に建設。三十三間堂や隣接する後白河院陵墓も、方広寺の境内として取り込まれて、築地塀に囲まれました。

それがこの、太閤塀。軒丸瓦には、よくよく見ると、豊臣家の桐紋がありました。

一見何の変哲もない、普通のどこにでもある塀なのですが、貴重な秀吉時代の塀なのだなと思っていたら、残念ながら秀吉時代の太閤塀は、完成翌年の1596年、慶長伏見大地震で倒壊していたのでした(この時、開眼供養直前の方広寺大仏も損壊)。今の太閤塀は、秀吉の子・秀頼によって再建されたものだそうです。

無料で見られる、南大門と太閤塀

先ほど紹介した太閤塀は、三十三間堂の内側(有料拝観エリア)からだけでなく、外からも見ることができます。

そして、太閤塀のスタート地点と言うべき建物も、三十三間堂の外にありました。それが、方広寺南大門。豊臣秀吉死後の1600(慶長5)年、豊臣秀頼によって建設されました。

なかなか立派な門なのですが、何の門なのか、事情を知らない人にはわかりませんね。これは三十三間堂のある、北側方向から見たものですが

反対側(塩小路通)から見ると、こんな感じです。左側の塀が、太閤塀。

西側に向かって、塀が続いています。塀の高さは5.3mで長さは92m。かつては西にも存在していたようです。

余談:昭和の建築だけど、人気の撮影スポット東大門

南大門や太閤塀という重要文化財ではありませんが、三十三間堂境内での人気撮影スポットは、

1961年に建立された、東大門。赤い色が華やかで、よく修学旅行生が、ここで記念撮影していました。

方広寺の南大門も、昔は赤く塗られていたのでしょうか。派手好きの秀吉だから、もしかしたら、かなり派手な色に塗っていたかもしれませんね。

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