『海上の道』へのロマン  民俗学者・柳田國男が椰子の実を拾った伊良湖崎

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日出の石門を目指してひたすら歩く

2025年11月1日(土)、愛知県の伊良湖(いらご)岬や豊橋市を訪れる機会がありました。鳥羽港から伊勢湾フェリーに乗って伊良湖港に上陸し、港から徒歩10分ほどの「灯台茶屋」で焼きあさり定食を頂き、伊良湖岬の名物グルメを堪能できた私たちは

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次の目的地・日出の石門(ひでのせきもん)に向かいました。

「灯台茶屋」からは、徒歩で約45分ほど。私たちは伊良湖港14:45発のバスで、豊橋に向かう必要があるため

茶屋の前の海沿いにある「幸せの鐘」(恋人の聖地)には目もくれず、ひたすら道路を歩きます。

高台にあるのは、伊良湖オーシャンリゾート。1泊してのんびりと、渥美半島名所巡りをするのも良さそうですが、今はただ歩くのみ。

まだ行ってない伊良湖崎灯台から続く「恋路ヶ浜」がきれいに見えます。

沖合に見えるのは、フェリーで通り過ぎた神島(三重県鳥羽市)かな?

歩くことしばし、やっと案内板が見えてきました。この調子だとグーグルマップの計算通り、日出の石門に到着できそうで一安心。

「椰子の実記念碑」を発見!

車道から離れ、海岸へと降りていきます。

その途中にあったのが、この石碑。達筆すぎてわかりにくかったのですが、島崎藤村の『椰子の実』の詩(名も知らぬ 遠き島より で始まる有名な詩)が書かれていたのでした。

この詩は1900(明治33)年に作られたのですが、1936(昭和11)年に曲が作られ、現在に至るまで多くの人に歌われ、親しまれています(私も好きです)。その歌碑もありました。

東京帝国大学法科大学の学生だった柳田國男(後に、日本民俗学の開拓者となる)が、伊良湖岬で療養生活を送っていた際、恋路ヶ浜で椰子の実を拾いました。東京に帰ってから、近所に住んでいた島崎藤村にその話をしたところ、藤村がその話を基に『椰子の実』の詩を作ったのです。

一方柳田國男は、椰子の実だけではなく宝貝の分布や神話・伝説などから、日本人の先祖の少なくとも一部は、南の島から海上ルートで日本に移住したとする『海上の道』を、晩年に著すのでした。

柳田國男と島崎藤村。すごい偉人の業績に関わった椰子の実だったのですね!

届け!椰子の実 愛のココナッツメッセージ

柳田國男は恋路ヶ浜で椰子の実を拾ったそうですが、もし本当に南の島から椰子の実が流れて来たなら、ぜひ拾ってみたい! 流してみたい!と思うのが人情らしく

昔は伊勢湾フェリーも記念事業として、マリアナ諸島ロタ島から放流したそうですし(三宅島で拾われた)

町おこしの一環として、田原市の「渥美半島観光ビューロー」が毎年石垣島から椰子の実を放流するツアーを実施しているそうです(今年2025年の様子はこちらをご覧ください)。今年で38回目で、これまでに3,929個流し、国内には156個漂着。田原市には4個漂着しています(残念ながら恋路ヶ浜にはまだ漂着していません)。

椰子の実を拾うと、ここに名前と漂着場所が記念として記載され、伊良湖岬にご招待されるのだとか。九州にたくさん漂着していますが、茨城県や和歌山県、神戸のポートアイランドで拾った人などもいて、柳田國男の感じたロマンがまだまだ息づいているようでした。私も拾ってみたいな!

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