大河ドラマで学び直せる日本史 菊池源吾は流人?(『西郷どん』第18話)

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『西郷どん』は、いよいよ今回から奄美大島編ですね。

奄美大島の人々のセリフには、字幕スーパーが付いていてびっくりしました。

でも、ちょっと肝心なところがドラマでは省略されていたような気もします。

土中の死骨

薩摩藩から匿ってもらえず、日向との国境で殺されることとなった勤皇僧・月照と、彼に同情した西郷隆盛は、抱き合って冬の錦江湾に入水します。

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月照を避難先と信じた薩摩に送り届け、ともに船に乗り、2人を救助することになるのは、福岡藩の勤皇の志士・平野国臣や船の船頭たちですがドラマでは登場せず、大久保正助が救助したことになっていました。

下の写真は、今も鹿児島に残る「西郷隆盛蘇生の家」。

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近くには、「月照上人遷化の地」と書かれた石碑もありました。

生き恥をさらすことになった隆盛は苦しみ、自らを「土中の死骨」と呼び、生涯恥じたとのことです。

家族は彼の周囲から刃物を遠ざけたと伝わるので、よほど荒んでいたのでしょう。

一緒に死ぬ約束をしたのに月照だけ死んでしまい、自分1人だけ生き残るというのは、感情豊かな西郷には耐えられないことでした。

西郷隆盛は死んだ

このころ薩摩には幕府の捕吏が到着しますが、薩摩藩は西郷や月照は死んだと報告。

「月照の遺体を見せてもいい」と言ったところ、「それには及ばず」と捕吏は引き上げたそうです。

このまま西郷を鹿児島に置いておくと、幕府に気付かれてしまうので、薩摩藩としては西郷をどこかに隠す必要がありました。

そのため西郷を改名させ、砂糖船に乗せて奄美大島へ運びました。

1859年1月に上陸した奄美大島では潜居を命じられたといいます。

西郷を乗せた船を係留したという「西郷松」(リュウキュウマツ)ですが、立ち枯れてしまったので幹の部分が保存されていました。下の写真はその石碑の部分です。

近くには「西郷翁上陸之地碑」もありました(雨が降っていたので、車窓からの撮影の身になりました)。

藩からは西郷に対して、年6石の扶持をつけていました。

彼は流人ではなく、日の当たるエリート藩士(斉彬の庭方役)の立場から奄美大島へ左遷されたというのが正しいのです。

前回のブログにも書きましたが、やはり薩摩藩としては、組織の一員である西郷を、何としても守ってやろうという気持ちはあったのでしょう。

自らのルーツを名乗る

さて、西郷隆盛は死んだことになったので、彼は別の名前を名乗らねばなりません。

失意の西郷は、菊池源吾(祖先は菊池氏の意)と変名しました。

菊池氏は今の熊本県菊池市を本拠とし、平安時代から記録に残る由緒ある一族。

九州南部を支配し、南北朝時代には南朝方として活躍しますが、戦国時代のころから一族間で内紛が続き、とうとう滅亡してしまいました。

一族の中には、薩摩の島津氏の家臣になった者もおり、これが西郷隆盛の祖先とされるそうです。

菊池源吾という名乗りには、「吾(われ)の源(ルーツ)は菊池氏だ!」という、西郷の強烈な意識が伺えます。

島の嫌われ者だった西郷どん

奄美大島に到着した西郷ですが、最初は全然言葉がわからず、苦労したそうです。

昨年奄美大島を訪れた時、タクシーの運転手さんにいただいたパンフレットによると、この時の西郷は身長178㎝、体重108㎏の大男。

しかも目が大きくギョロっとしており、笑顔一つなく、荒んでいて乱暴そう。

島の人たちは怖がり、垣根越しに様子を伺い、会えば平身低頭していました。

またそんな島人たちを見て、西郷も、「まるでハブのようだ」「このけとう人」と忌み嫌っていたそうです。

月照に死に後れて気持ちが荒んでいたとはいえ、私たちがイメージする「弱い者にやさしい西郷隆盛」というイメージとは全然違いますね。

奄美大島の悲惨な現状を知る

やがて西郷は、薩摩藩の役人に黒砂糖を収奪され、台風などの被害も多く、悲惨な状態に置かれている島人たちの現状を知りました。

敬愛する島津斉彬さまの尚古集成館事業や、豪華絢爛な篤姫の輿入れ道具を賄っていたのは、奄美大島の黒砂糖だったのです。

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悲惨な生活を送る島人たちですが、何事にも負けてたまるかという「スットゴレ精神」が宿っていることも知りました。

日本中どこを見渡しても、これほどの苛政(血も涙もない、むごたらしい政治)はないというのに、この島人たちの逞しさ、明るさは一体どこから来るのだろう。

それに比べて自分は、不平不満ばかり口にしている。

西郷は純粋な島の子供たちと触れ合い、自分の少ない扶持米を、さらに困っている島人たちに分け与えるようになりました。

今回気付いたこと

薩摩の農民にはとても同情し、やさしかった西郷。

でも彼は、奄美大島のことは、黒砂糖のことも、農民たちの生活のことも、何も知らなかったようです。

差別意識があったかはわかりませんが、相手のことを何も知らないというのは、これまた大問題。

愛の反対は、憎しみではなく無関心だと、よく言われます。

まずは相手を知ること。

何事も、そこから始まりますね。

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