懐かしの青函連絡船
2020年12月30日(水)、青森最初の訪問先・ねぶたの家ワ・ラッセ見学を終えた私達が、次に向かったのが
1908(明治41)年~1988(昭和63)年にかけて、国鉄(現在のJR)青森駅から函館駅までを結んでいた青函連絡船(貨車も搭載されます)で、最後の青森行きになった船が八甲田丸。
歴代の青函連絡船では最長となる、23年7ヵ月間も運航された船です。
早速乗り込んでみましょう!
昭和30年代の青森駅前にタイムスリップ!
最初に訪れたのが、船の3階遊歩甲板。
ここには「青函ワールド」という、昭和30年代の青森駅前を再現した空間がありました。
青森は港町。新鮮な魚介類を扱う店ですね。
北海道から来た海産物もあるかな?
青森に欠かせないりんご売り! 今日の天気だと『氷の世界』の歌も思い出されます。
昔懐かしいりんごの木箱に夫は感激。
キオスクの販売員さん。鉄道弘済會という古い字体がいいですね。
担ぎ屋のおばさんたち。これから連絡船で函館へ行くのかな?
今では見られない駅の光景が、とてもリアルに再現されています。
古着屋さん。あの頃はまだまだ貧しかったし、不便もいっぱいあったけれど、皆たくましくがんばっていましたね。
青函鉄道連絡船記念館
次に訪れたのは、青函鉄道連絡船記念館というコーナー。
連絡船の模型や資料が展示されていました。貨車を満載した連絡船は、物流の大動脈だったのです。
海の日制定のもととなった明治丸の模型もありました。
この船は明治天皇が乗った船。東北巡幸の際、軍艦でなく普通の船に初めて乗り、横浜に無事到着した7月20日を「海の記念日」にしたのが「海の日」の起源のようでした(今は7月第3月曜日)。
憧れのブリッジ(操舵室)
船の中で一番面白そうな部分が、ブリッジ(操舵室)。
ジャイロコンパスやレーダーなど、いろいろな計器類が満載です。
青森から函館まで3時間50分(新型の運行時間)。
無事に航海するためには、このような機器をうまく使いこなさなければなりません(上はジャイロコンパス)。
当時の最先端技術が、ここに集まっていたはずです。
ブリッジからの眺めは、一面の白い世界。あの船は下北半島の佐井を目指すシィラインかな?
これは「号鐘」。
元々は警笛や乗員交替の合図として鳴らされた鐘ですが、レーダーや霧笛などが発達したため、この頃には船のシンボルとして取り付けられたそうです。
車両甲板で国鉄の車両に再会!
青函連絡船は、鉄道車両を格納して航海します。
船の1階は車両甲板。
いろいろな車両が展示されていました。
貨物列車と一口に言いますが、いろいろな種類がありますね。
郵便車もありました。
その中には、実際には連絡船に乗らなかった客車の姿も!
「メモリアル」として、展示されているようでしたが、とても懐かしかったです。
線路と船尾扉。列車の中に線路がある船は初めて見ました。
線路はこんな配置です。現在、鉄道車両を乗せている船って世界でどれくらいあるのかな。
機関室へ
いよいよ八甲田丸の心臓部、地下1階の機関室です。
約5,400tある青函連絡船「八甲田丸」には、ディーゼルエンジン1,600馬力がなんと8基搭載されているそうです。
就航時はものすごく暑いスペースだったのも納得できます。
ブリッジ(操舵室)に次ぐ、八甲田丸第二の頭脳・総括制御室。
こちらは冷暖房完備だったとか。
八甲田丸では、主発電機(700KVA)3台をはじめ、主軸駆動発電機(900KVA)1台、さらに、補助発電機(70KVA)が備わり、機関・通信・照明などの船内装置に電源を送っていたそうです。
映画『青函連絡船 ─栄光の軌跡─』 BGMの謎
最後に訪れたのが、3階のミニビデオシアター。
ここで『青函連絡船 ─栄光の軌跡─』という映画を見ました。
途中からしか見なかったけれど、洞爺丸台風など悲しい事故や、最後の就航で涙を流す人々などが紹介され、なかなか面白い映画です。
この映画のBGMが、とても気になりました。
どこかで聴いたようなメロディーだなと思ったら、大河ドラマ『花神』のオープニング曲にとてもよく似ているのです(まるで変奏曲)。
NHKが制作したような映画だし、もしかしたら『花神』と同じ林光さんの作曲かな?
残念ながら私達が見たのは要約版だったためか、スタッフの名前がクレジットで出てきませんでした。
BGMは誰が作曲したのか気になりつつ、八甲田丸を後にしました。
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