接待役光秀は休暇中に呼び出された?
1582(天正10)年5月15日、徳川家康は信長に招待を受け、安土城に到着しました。
家康が招待された目的については、織田・徳川双方の強敵であった甲斐の武田家が滅んだため長年の苦労をねぎらうためとも、武田家が滅んで用済みになった家康を暗殺しようとするためだったとも言われます。
その時の接待役が明智光秀。
明智光秀の友人である公家・吉田兼見の日記『兼見卿記』によると、光秀はその前日(5月14日)、信長から休暇を取るように命じられたそうです。
光秀にとってはきっと久々の休暇。坂本城に戻ってのんびりしようと計画していたかも知れません。
ところがその翌日、突然信長からの命令で、家康の接待を命じられたのです。
人使いが荒すぎる信長 賓客の到着当日の接待役拝命
今のサラリーマンによくありそうな、上司からの急な呼び出し。
しかもその日は、よりにもよって、家康が安土城に到着するその当日ではありませんか!
せめて1週間前に言ってほしいですよね! 光秀の能力ならできると思っていたのかな? まさか嫌がらせ?
信長は、人使いが荒いことで有名ですが、ここまで来るとちょっと無計画すぎる。もしかしたら、光秀はイラッとしたかも知れません。
ともあれ光秀は、家臣団総動員で接待の準備に奔走することとなりました。
メニューの選定、食材や食器の調達、余興の準備など、接待にはやらなければならないことが山程あります。
信長は事前に、ある程度の準備はしていたのかな?(料理人を確保するとか)
当日ゼロからの準備なら、光秀へのハードルはかなり高い。
堺や京都で食材や食器を調達したという話も伝わっているので、もしかしたら当日ではなく、もっと事前に接待役を拝命していたかも知れませんね(常識的に考えたら、かなり前に命令しているはず)。
『麒麟がくる』で描かれた宴会 暴力はあったけど、魚は腐っていなかった!
さて、このときの食膳のため準備していた魚が(ちょうど梅雨時で)腐っており、光秀は信長に激しく叱責され、接待役も解任されたという話が『川角(かわすみ)太閤記』という江戸時代初期の書物に紹介されていて、広く伝わっています。
私も大河ドラマなどで、何度もこんなシーンを見た記憶があります。
でもよく考えてみると、一流の料理人が揃っている厨房(のはず)で、そんなミスはありえない。
信長が気がつくのに、他の人が気が付かないなんて!
挙句の果てには、何かのテレビ番組で、魚の腐った匂いに気が付かない明智光秀は、認知症だったのでは?という説まで飛び出してきてびっくり!
まぁ確かに、能力第一主義で人使いの荒いブラック企業・織田家に仕える家臣として、ストレスが貯まり過ぎていたかも知れませんが、やはり周囲が、魚の腐った匂いには気がつくでしょう。
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で描かれた安土城での接待シーンでは、定説通り信長は光秀を叱責し、暴力をふるいました。
でもそれは、魚の匂いではなく、「膳の順序が間違っていた」そして「光秀が信長の衣服に汁をこぼしてしまった」ためでした。
できる接待役・光秀が、膳の順序を間違えるとは思えないので、もしかしたら最初の言いがかりは、信長の嫌がらせだったかも知れません。そしてなんと、徳川家康の反応も見ていたとは! 恐るべし信長。
「えーっ!そんなはずないよ!マニュアル通り今日もバッチリ完璧にやったのに!」と動揺した光秀が、信長の傍に近寄って、思わず汁をこぼしてしまうというのは、十分有り得る展開でしょう。
納得できるストーリーで良かったなと思えました。
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