尼崎城藩主を祀る神社
2019年4月6日に、完成直後の尼崎城や、寺町界隈を訪れました。
いずれも阪神電車尼崎駅南側すぐの場所です(JR尼崎駅からはかなり遠いので注意!)。
この近くには、尼崎藩主を祀った神社もありました。
その名は「櫻井神社」。
ちょうど桜が満開の時期に訪れることができました。
祭神は徳川家康の曾祖父の弟を祖とする松平家初代から16代目まで。
江戸幕府第6代将軍・徳川家宣(いえのぶ)の時代(新井白石の「正徳の治」)、松平忠喬(ただたか)が静岡の掛川藩からこの尼崎藩へ移封され、幕末までこの地を支配することになったのです。
鳥羽・伏見の戦いの後、松平家16代目(数え方には諸説あり)忠興(ただおき)は新政府に恭順の意を表明して、所領を安堵されました。
2月になると徳川との決別の証として、元々の所領であった現在の愛知県安城市桜井町にちなみ「櫻井」と改姓したのです。
家紋も葵の紋ではなく、桜のデザイン。賽銭箱にもこの紋がありました。
1882(明治15)年に、旧尼崎藩士有志が歴代藩主の遺徳を偲び、城の大手橋近くに神社を建立。その後道路工事があり、現在の場所に移転。
明治10年代には、城下町各地で藩主を神として祀る神社が建立されるようになります。
櫻井神社もその1つのようですね。
日本赤十字社と最後の尼崎藩主の関係
私達は神社の裏手から入ったのですが、そこで面白いものを見つけました。
「博愛地蔵」と呼ばれるお地蔵様。お顔を見ることができなかったのがちょっと残念でした。
改姓して所領を安堵された最後の尼崎藩主・櫻井忠興ですが、廃藩置県で尼崎藩知事を罷免されます。
華族となって東京に移住し、藩収入の一部は保証されました(後に子爵となります)。
その後西南戦争が始まると、戦争の悲惨な状況が拡大する中で敵味方の区別なく救護を行う「博愛社」を結成しました。
その後「博愛社」は日本赤十字社となり、当初の活動本拠地は、東京の櫻井子爵邸だったのです。
そのため「博愛地蔵」が作られたのだとか。ちょっとした「知られざる歴史」かも。
NHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公・新島八重さんも日本赤十字社員で、日清・日露戦争では看護婦として活動していたので、もしかしたら2人は知り合いだったかもしれませんね!
ちなみに、前回ご紹介した元禄時代の国学者、契沖も、「学問の神」として祀られていました。
契沖さん、びっくりしているかな?
嵐ファンの聖地で御朱印をいただく
この日は御朱印帳を持っていなかったので、後日もう一度訪れて御朱印をいただきました。
なかなか立派な御朱印だったのですが、その他にもたくさんのお守りグッズがあってびっくり。
境内には若い女性の姿もちらほら。後で知ったのですが、ここは国民的アイドルグループ「嵐」の櫻井翔くんと同名のため、嵐ファンがコンサートチケット当選祈願に訪れる場所でもあるのだとか。
この辺りには、びっしり当選祈願やお礼の絵馬があったのでしょうね。嵐の力、恐るべしです。
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