『青天を衝け』栄一の仕事始めは14歳 天才藍葉鑑定少年は大人気

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ペリー来航より深刻な、血洗島の藍葉不足

NHK大河ドラマ『青天を衝け』では、渋沢栄一が初めて藍の葉を買い付けに行く様子が描かれていました。

この年は1853(嘉永6)年。栄一は14歳の少年でした。

この年に、ペリーが浦賀に来て大騒ぎになったのは、ドラマの通り。

しかし血洗島では、もっと深刻な問題がありました。

関東地方がひどい旱魃で、最初に採れる一番藍はひどい不作でした。

麦づくりや養蚕だけでなく、藍の葉を買い入れて藍玉を製造し、信濃(今の長野県)や上野(こうずけ 今の群馬県)の紺屋(こうや 染物屋)に販売していた栄一の家では、材料不足という危機が!

幸い次の時期に採れる二番藍はよくできたので、栄一の父・市郎左衛門は、できるだけたくさん藍葉を買い付けようとします。

祖父の随行は嫌! ひとりでできるもん!

ドラマには出てきませんが、この頃はまだ、栄一の祖父(栄一の母えいの父)が存命で、信濃や上野の紺屋まわりで藍玉を売る市郎右衛門の代わりに、藍の葉を買い付けに行くことになりました。

父から「子供ながら、先々の商売の修業におじいさんの供をして、その駆け引きを見習うがよい」と言われた栄一。

しかし内心では、「自分だって藍の善悪の判らぬことはない」と自信満々。何とか一人で買い付けようと思っていました。

初日こそ祖父に同行していた栄一ですが、どうしても1人でやってみたくなり、幾らかのお金を祖父にもらい、1人で「藍を買いに来た」と吹聴したのです。

藍葉鑑定の天才少年現る?!

この時の栄一は14歳。髪型はまだ子供スタイルだったため、最初は大人は馬鹿にしていました。

しかし栄一はこれまで何度も藍の買い付けをしている父に同行しており、「藍の鑑定家」として世間で褒められている父親の仕事ぶりをよく見ていたため、口は達者!

「これは肥料がよくない」「茎の切り方がよくない」「下葉が枯れている」など、父親の真似をしていちいち指摘してみたところ、人々は大いに驚いたのです。

「妙な子供が来た」と却って珍しがられ、的確なコメントもたいそう褒められ、結局21軒の藍をことごとく買ってしまいました。

今でも天才少年や天才少女がマスコミを騒がせますが、14歳の栄一は、まさに武蔵の天才藍葉鑑定少年!

その日以降もせっせと藍を買い集め、祖父が「俺も一緒に行かねばならん」と言うと、「なにあなたが行かんでもよろしい」と言って、ほとんどその年の藍は、1人で買い集めました。

父の市郎右衛門が紺屋まわりから帰ってきて、栄一が買い入れた藍を見て、大いにその手際を褒められたようです。

最初の挑戦がうまくいくと、その成功体験でどんどんやる気が出てくるのは、今も昔も一緒ですね!

もし彼が藍の葉の買い付けに失敗していたら、大実業家・渋沢栄一は誕生していなかったかもしれません。

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