2022年12月4日(日)、富山県の高岡市を訪れました。
高岡城址公園にある高岡市立博物館
今回の旅で予期せぬ出会いがあったのは、高岡市立博物館です。
高岡大仏と隣接するamida coffee、高岡城址公園と射水(いみず)神社を訪れた後は、
高岡市美術館で「WHO IS BANKSY? バンクシーって誰?展」を見ようかなと思っていたのですが
午前・午後ともあまりの待ち時間の長さに諦め、それに代わる場所として、高岡市立博物館に急遽行くことにしました。
高岡市立博物館は、高岡城址公園の南東部に位置しています。JR高岡駅からだと、徒歩で(バスが1日1本しかないそうです!)大体15分ほど。
正直、少し古びている感じもする建物でした(暗い雨の日に見たせい?)が、入館は無料という、とてもありがたい施設でした。
建物は古くても、新しくてわかりやすい親切展示!
建物は古い感じがしましたが、展示物の解説については、現代のニーズによく応えてくれているなと思いました。
とてもかわいい博物館のキャラクター「利長くん」(前田利長がモデル)が、随所で案内や解説をしてくれるし、
解説パネルの文章もフリガナを多用し、専門用語なども極力使わず、一般的に使われている言葉で書かれていて、歴史に詳しくない人でも子供でも楽しめるように、わかりやすく解説する工夫がされていました(長女が感心して喜んでいました)。
越中国(現在の富山県)に国守(地方長官)として赴任した万葉歌人でもある大伴家持や
加賀藩初代藩主で高岡城を築いた前田利長や、彼の銀鯰尾(ぎんなまずお)兜に関する展示、
江戸時代の農具もあって、教科書の中の道具をリアルに見ることができました。
私たちは各地の博物館や展示館などで見ることもあるのですが、長女は初めて見たようで、感激していました。
高岡市の歴史はもちろん、伝統産業も紹介されていて、これで無料なのが信じられないくらい、充実した展示でした。
高峰譲吉博士と松楓殿
この博物館で初めて知ったのですが、明治の偉大な化学者である高峰譲吉(たかみねじょうきち)博士は、高岡出身だったのです。
と言っても高峰博士については、夏目漱石の名作『吾輩は猫である』の中で、猫の飼い主で胃腸の弱い苦沙弥(くしゃみ)先生(漱石がモデル)が常用している薬(消化酵素タカジアスターゼ)を発見したり、ホルモンの一種であるアドレナリンの抽出に成功した人物という認識しかありませんでした。
博物館では彼の生涯について詳しく紹介していましたが、それによるとアメリカ女性と結婚してアメリカに住み、暗殺されかけたり研究所が放火されたりという苦しい時期もあったのですが、薬品会社三共(現在の第一三共)の初代社長となるなど実業界でも成功して巨万の富を得たのだとか。大河ドラマになりそうな人生ですね! 渋沢栄一とも知り合いだったそうです。
その高峰博士が、1904(明治37)年開催のセントルイス万国博覧会の後、日本館をニューヨーク郊外に移築して別荘とし、日米民間外交の拠点としたのが松楓殿(しょうふうでん)。
博物館新館2階には、松楓殿の調度品や工芸品が展示されていました。
とても豪華な品々にびっくり!
野口英世に比べると、来年から千円札の顔になる北里柴三郎、そして今回知った高峰譲吉の偉業や生涯などは、あまり知られているとは言えません(渋沢栄一や津田梅子もそうかな?) 学校では教えない高峰譲吉の実業家としての顔や、日米民間外交に尽力したことなどを学べて、とてもよかったと思いました。
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