五島列島福江島に行ってみた4 堂崎天主堂で五島キリシタンの歴史を学ぶ

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2022年12月30日(金)、福江島2日目です。この日は終日、五島タクシーの中野運転手に、島内を案内していただきました。

休館日だった堂崎天主堂

私たちの宿GOTO TSUBAKI HOTELから最初に向かったのは、堂崎天主堂です。

ホテルからはちょうど真北に位置しているようでした。

朝一番に行ったためか、今日は人が少ないのかなと思っていたら

今日は休館日だったのですね!

年に数日しかない休館日を、見事に引き当ててしまいました。

福江島に年末年始に訪れる場合は、教会や飲食店などが休みでないかどうか、事前に調べておく必要があるのかも。

五島列島福江島に行ってみた1 意外と近かった福江島 年末年始は休業の店が多いので注意!

2023年1月21日

教会の内部は残念ながら見学できなかったのですが(こんな感じらしい)、

レンガ造りの美しい建物を見ることができました。

五島で最初に建てられたキリスト教会で、1908年の完成だそうです。

レリーフや彫像から学ぶ五島キリシタンの歴史

休館日のためキリシタン資料館も見学できませんでしたが、運転手さんから五島キリシタンについて、詳しく教えていただきました。

このレリーフは『アルメイダの宣教』を記しています。

キリシタンの日本人医師ディエゴが五島を支配する宇久純定(うく すみさだ)の熱病を治療したことで、純定夫妻はキリシタンとなり、宣教師アルメイダ(医師免許を持つポルトガル人)やロレンソ了斎(元琵琶法師で、日本人イエズス会員)の布教活動を援助しました。これが五島の人々とキリスト教との出会いです。

しかしやがて豊臣秀吉の迫害が始まります。1597年に殉教した二十六聖人の中には、五島出身のヨハネ草庵(ヨハネ五島)もいました。この教会は、19歳で殉教した聖ヨハネ五島を記念して、「日本二十六聖殉教者」を保護の聖人として建てられたのです。

明治になって禁教が解けると、1880年に着任したマルマン神父(左)は貧しさゆえに親が育てることができない子供たちの救済を行い(のちに「奥浦慈恵院」となる)、その跡を継いだペルー神父は私財を投じて堂崎天主堂を建てました。

五島出身で、初の海外派遣日本人宣教師であるドミニコ中村長八神父ゆかりのイヌマキの木。奄美大島での布教を経て、ブラジルへ渡った日本人移民や日系人への布教と救済に取り組んだ彼(1940年没)は、殉教者以外で初の日本人「福者」(聖者に次ぐ地位)になる可能性もあるのだとか。

マリア様が遠くから見守っていました。

天主堂周辺にあった気になるものたち

堂崎には天主堂だけではなく、いろいろ面白いものがありました。

これは「りんご石」。干潮の時だけ姿を現すそうです。リンゴに似ているかな?

ちなみに、堂崎の浜辺では、1873(明治6)年に五島で初めてクリスマスが祝われたと言われています。この辺りなのかな?

こちらも珍しい自動販売機。堂崎マドレーヌの自動販売機でした。ちゃんと賞味期限も機械に貼られています。親切です!

ちなみにお店はこちらのようです。

時間が合えば寄りたかったな。

観光客がたくさん訪れる場所のせいか、他にも面白そうなお店がありました。いつかまた、天主堂が開いている時期に訪れる機会があればいいなと思いました。

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