2022年5月の連休を利用して、愛知県の『どうする家康』ゆかりの地を、いくつか巡ることができました。
松平氏ゆかりの安祥城
今年の大河ドラマ『どうする家康』の主人公は、松平元信→松平元康→松平家康→徳川家康 と改名を重ねています。
つまり元々は「松平氏」だったのですが、この松平氏は愛知県豊田市松平を発祥の地とし(上の地図)、多くの分流に分かれていきました。
戦国時代に勢力を伸ばしていくのが、安城(あんじょう)市にあった安祥(あんじょう)城を根拠地とする「安祥松平氏」。
家康の祖父・松平清康(家康の「康」はこの祖父にちなむ)が勢力を拡大し、拠点を岡崎城に移した後も重要拠点であり続けました。
その安祥城は、JR安城駅から徒歩で30分ほど歩いた場所にあります。
といっても、現在は城跡の碑のみ。この城を巡って、家康の父・広忠時代には松平と織田の戦いが、何度も繰り広げられました。
現在は了雲院大乗寺という寺院になっていますが、
解説板には、戦国時代の敷地が紹介されています。上の写真の原図は、城郭考古学者の千田嘉博先生。
徳川家康の最も古参の家臣たちは「安祥譜代」と呼ばれ、酒井・本多・大久保・平岩・石川など、大河ドラマでおなじみの家臣たち。本多平八郎忠勝の祖父忠豊と父の忠高は、安祥城を巡る織田との戦いで家康の父・弘忠を守って戦死しています(大河ドラマ『どうする家康』第2話の平八郎の台詞と若干違う)。
城跡周辺は公園になっていて、その一角には安城市歴史博物館もありました。今回は行く機会はありませんでしたが、矢作川(やはぎがわ)流域の原始古代から現代までの歴史が展示されているそうです。
家康を苦しめた三河一向一揆の拠点・本證寺
次に訪れたのは、浄土真宗の本證寺(ほんしょうじ)。
安祥城跡からは、最寄り駅の名鉄西尾線・南安城駅まで徒歩15分ほど。そこから南桜井駅まで列車移動し、南桜井駅から徒歩20分弱 の予定だったのですが、
なんとこの日は、「本證寺フェスティバル」が開催されていて、南桜井駅からシャトルバスが出ていました!
やはり大河ドラマへの期待が高いようで
専門家による講演会も! この寺院こそ、『どうする家康』で3回にわたって放映された三河一向一揆の中心となった寺院の1つで、当主は浄土真宗本願寺派の中興の祖・蓮如上人の曾孫・空誓(くうせい)上人でした。ただしドラマと違い、一向一揆が勃発した時、空誓上人は数え年19歳! ちなみに家康より2歳年下なのですが、ドラマではどうみても、家康より20歳くらい年上に見えましたね(現在の住職さんや信者さんたちは、びっくりされたのではないかな)。
ともあれこの日のお寺はお祭りムード一色! たくさんの人で賑わっていました。今でも多くの人々の、心のよりどころになっている寺院のようです。シャトルバスが出るくらいなので、多くの信者さんがいるのでしょう。
まず本堂で参拝。浄土真宗なので、阿弥陀如来がご本尊です。
境内には、屋台も出ているのですが
地獄極楽の絵解きもあって(初めて見ました)、とても面白かったです。
でも、本證寺の周囲をよく見てみると、水堀や鼓楼(太鼓で時刻や緊急事態を知らせる)、土塁(これは確認しそびれました)などがあり
「城郭寺院」とも呼ばれて、戦う寺院の面影がありました。
家康によって破壊される(「前々は野原にて」)までは、今の数倍も大きかったようです。家康が半年以上も一揆との戦いに苦しんだのは、家臣の半数が一揆方についたり、一向宗門徒が死を恐れなかったりということもありましたが、この寺の防御力も高かった点も大きいでしょう。そのため、寺院の破壊も家康にとっては必要でした。和議の後に家康は一方的な改宗命令を出し、これを拒んだ僧侶たちを追放し、寺院も破却しています(約20年後に許され、戻ってきます)。
ドラマのように、本證寺では蓮も植えておられるようですが、この時期はあやめ(だと思う)の花が美しく咲いていました。やはり「戦う寺院」より、フェスティバルで賑わっている平和な寺院が一番ですね。
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