『どうする家康』ゆかりの長久手市を歩く3  家康ゆかりの御旗山と色金山

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2022年5月3日(火)、小牧・長久手の戦いの古戦場(長久手古戦場公園)を訪れました。

小牧・長久手の戦いとは、徳川家康と豊臣秀吉が直接対決した、最初で最後の戦いです。

この戦いでは小牧市・犬山市・長久手市の他、全国でこれに連動した戦いが行われていますが、今回私たちは、長久手市でのゆかりの地を訪れました。

家康が金扇の馬標を立てた御旗山

長久手古戦場公園で長久手市郷土資料室を見学し、電動アシスト付き自転車もレンタルして、秀吉軍の武将たちが討ち死にした場所を訪れた私たちは

『どうする家康』ゆかりの長久手市を歩く2  長久手で散った秀吉軍の武将たち

2023年7月26日

『どうする家康』ゆかりの長久手市を歩く1  長久手古戦場公園と長久手市郷土資料室

2023年7月25日

次に、家康ゆかりの地を訪れることにしました。

尾張の小牧山城に入った徳川家康を城から引きずり出すため、秀吉が考えたのが、家康の根拠地である三河を攻撃し、家康が三河救援のために城から出るように仕向けるという作戦です。

このため別動隊として池田恒興(つねおき)隊、森長可(ながよし)隊、堀秀政隊、そして秀吉の甥である羽柴秀次隊が組織され、三河西部へ進軍しました。

ところが家康は、近隣農民や伊賀衆からの情報で別動隊の動きを知り、ひそかに小牧山城を出て追撃しました。このとき家康が陣を置いたのが色金山です。

その後、家康は秀吉軍の堀秀政隊に苦戦していた先遣隊の大須賀康高・榊原康政らを救援するため、御旗山(みはたやま)へ進軍し、頂上に金扇の馬標(うまじるし)を立てました。

武蔵塚からは御旗山の方が近いので、まずは御旗山を目指しました。

御旗山には、江戸時代になってから、地元の人たちによって富士浅間神社が祀られています。頑張って階段を上ると

拝殿があり

解説板や

「御旗山」の石碑もありました。この山の上に立った金扇の馬標を見た堀秀政は戦況の不利を悟り、池田恒興や森長可の援軍要請を無視して後退してしまいました。その結果、池田恒興や森長可は討たれてしまうのです。ある意味、この場所は「戦いの潮目を変えた場所」なのでしょうか。

色金山歴史公園

続いて訪れた色金山は、歴史公園として整備されていました。御旗山よりも広々としていて、多くの兵士たちが配置できそうな地形です。

家康は、色金山頂の巨石を床机(しょうぎ 折り畳み式の椅子)がわりにして軍議を開いたと言われ、その「床几石」は今も残っています。どのような軍議だったか、見てみたいですね。

山頂には、展望テラスもありました。

戦場はどっちの方向かな?

お茶室もありました。

史跡巡りで疲れた時は、ここで休憩するのもいいですね。

お抹茶とお菓子でほっと一息。

美しいお庭に癒されます。多くの人が討ち死にした古戦場を巡った後だけに、やはり平和が一番だなとしみじみ感じました。

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