『どうする家康』ゆかりの地2 岡崎市 岡崎駅から岡崎城へ

スポンサーリンク



2022年5月の連休を利用して、愛知県の『どうする家康』ゆかりの地を、いくつか巡ることができました。

5月4日に、安城(あんじょう)市の松平氏ゆかりの地・安祥(あんじょう)城跡と、家康を苦しめた三河一向一揆の拠点・本證寺(ほんしょうじ)を訪れた後は、

『どうする家康』ゆかりの地1 安城市 松平氏ゆかりの安祥城跡と、三河一向一揆の拠点・本證寺

2023年3月31日

岡崎市へ移動しました。

東岡崎駅で、徳川家康の身長がわかる!

私たちはまず岡崎城を訪れるため、本證寺の最寄り駅・名鉄南桜井駅から

名鉄で東岡崎駅まで移動。東岡崎駅では、早速面白いものを見つけました。

徳川家康って、私と同じ身長だったんですね! 一気に親近感が湧きました。当時の日本人平均身長と大体同じという説もあります。

おもてなし武将隊の皆さんの大看板! 東へ行けば徳川家康公像、西へ行けば岡崎城。どちらも行きたいのですが、やっぱり岡崎城を選択!

行列のできるラーメン屋さんを横目に見ながら、岡崎城を目指しました。

竹千代通りを歩く

東岡崎駅から岡崎城までは、徒歩で15分少しです。

乙川(おとがわ)に架かる殿橋(とのばし)を渡った後(岡崎城天守閣が見えます!)

せっかくなので、グーグルマップの通りではなく、川沿いの道を歩いてみました。

この道は、「竹千代通り」と呼ばれているのです。

途中にあるのは、菅生(すごう)神社。岡崎最古の神社で、家康も25歳の時にこの神社に厄除開運祈願をし、社殿を造営するなど岡崎城鎮護の守護神として篤く崇敬したそうです。

25歳の頃って、家康の長男竹千代と信長の長女徳姫が結婚し、家康は浜松城に移る時期になるのかな? ドラマもこれから描くところですね。

ビスタラインで大樹寺が見えた!

やがて堀が見えてきました。龍城堀(たつきぼり)というらしく、

そこに架かる赤い神橋(しんきょう)を渡ると、岡崎城のある岡崎公園に入ります。

最初に見えてきたのが、龍城(たつき)神社。徳川家康生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝説が残るパワースポットです。元々は龍神を祀っていましたが、現在は徳川家康と本多平八郎忠勝を祀った神社として知られています。

神社を過ぎると、岡崎城天守閣が見えてきました。岡崎城に天守閣が建設されたのは、家康死後の1617年。ドラマでは最後まで、岡崎城天守閣は登場しないはず。

譜代大名が歴代城主になりましたが(5万石)、明治になって一切の建物が失われ、戦後(1959年)に天守閣は復興されました。発掘調査によると、最盛期には日本で4番目に大きな規模のお城だったのだとか。

岡崎城や岡崎の城下町に関する展示のある天守閣内部は撮影禁止でしたが、5階の展望室からの景色は撮影することができました。

展望室で知ったのが「ビスタライン」という言葉。ビスタとは「眺望・展望」という意味で、岡崎城と家康ゆかりの寺院・大樹寺を結ぶ約3kmの直線のこと。

家康を深く尊敬した孫の3代将軍・徳川家光が、松平家の菩提寺である大樹寺で家康の十七回忌を行うにあたり、大樹寺から岡崎城を望めるように伽藍を造営したのだそうです。

天守閣からも、はるかに大樹寺の伽藍の屋根を見ることができました。

こちらからは、逆ビスタラインというそうです。

同じ北側でも、近くを見ると、すごい人だかりが。どうやら岡崎公園内の「三河武士のやかた家康館」前の広場で、おもてなし武将隊(グレート家康公「葵」武将隊)の演武が始まっているのかな。

次はあの辺りに行ってみようと新たな目的地を設定し、御城印(300円)を頂いて天守閣を後にしました(続く)。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です